メッセージ。 - 人間同士の問題は、「議論」か「許容」で解決できないと思います
# 人間同士の問題は、「議論」か「許容」で解決できないと思います
この4つのレイヤーというのは、上に行くほど高度です。例えば人間以外の動物は基本的に一番下の暴力か、せいぜい言葉のケンカくらいまでしかできません。
ぼくはそうじゃないと思うな。たとえば猫は、街で見知らぬ猫に会ったら無視しあうというルールを持っている。目が合ったら、それはお互い何らかの関心を持っているという合図。縄張り争いのような喧嘩や、恋に発展するという段階を踏む。
こういうことは、猫だけじゃなくいろんな動物がやっている。サバンナでも、たくさんの動物たちが種族の壁を越えて、1つの池から(仲良く?)水を飲んでいたりする。人間は、高度ではないと思う。少なくともほかの動物と比べて、全然高度じゃないというのがぼくの考え。
それと暴力について。ぼくは暴力を振るわれるのは嫌いだけど、ときには必要なケースもあると思う。つまり、まったくの悪ではないと思う。たとえば殴り合いの喧嘩をすることで、分かりあうこともある。また、喧嘩をして勝ったほうが、その後の関係においても「勝利者」という心理や状態になることは稀だ。
喧嘩というのは、必ずしも勝敗を決めるために行われるのではないように思う。喧嘩をして、勝って、単にうれしいと感じる人はほとんどいないのではないか。喧嘩をするというのは、1つの方法論に過ぎない。暴力が良いとは言わないが、そういう物理的接触には、もっと別の意味や効果や心理のねじれがある気がする。
ジョン・レノンさんはこう言ったそうだ。「言葉というのは、コミュニケーションのスローなやり方だ、音楽はもっといい」。
レノンさんに同意。だけど音楽だけで仕事ができるとは思わない。それは違うやり方だ。違うコミュニケーションのやり方だ。それと同じように、暴力や物理的接触というのも、違うやり方であり、違うメディアだ。1つの物差しでそれを測り、比べることはできないと思う。
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