メッセージ。 - コンテンツのデフレはどこまで進むのか

# コンテンツのデフレはどこまで進むのか

『実用Perlプログラミング 第2版』のまえがきに、次のようなくだりがあった。

 本書の「まえがき」で書くのも何なのですが、最初は筆者がPerlについて知っていることをすべて本書に網羅しようと考えていました。しかしそれは無駄なあがきだったようです。その理由としてまず第一にPerlではDNA配列の組み換えやオンラインショッピング、さらには天気予報のチェックやポーカーゲームといった広範囲に及ぶ既製のモジュールをCPANから入手できることが挙げられます。しかも新しいモジュールが毎日飽くことなく追加され、どのようなモジュールが追加されたのかを知るのは大変な労力を要します。もう1つの理由として挙げられるのは前述したようにPerlは日々刻々と変化していることです。筆者自身もPerlの世界で明日何が起きるかは予測できないことです。したがって筆者ができることといえば、ためになるテクニックや現在利用可能なリソースを読者に伝えることくらいしかないというのが正直なところです。

これはある面で真実だと思うのだけど、それではこのような本の存在意義はなんなのかと考えてしまった。本の著者というある程度の権威、実力者でさえ、明日のことが分からない? だとしたら、本を読むよりもネットをチェックしているほうが価値があるじゃないかと。あるいは、もし仮にこの本が、本という形でなくてネット上のコンテンツだとしても同じではないか。

そんなにすぐに情報が陳腐化してしまうのなら、まとまったコンテンツを読むよりも、生まれたてのソフトウェアのREADMEを読むことのほうが価値があることになる。いや、もっと言うとそうした生まれたてのソフトウェアでさえも価値を失いつつあるということになる。

ソフトウェアやコンテンツの価値自体がデフレしてしまって、ネットをウォッチすることだけが価値を持つ世界。ネットワークそのものが価値を飲み込んでしまっているという構図ではないか。もちろんこれは極論で、ネットとコンテンツの価値はどこかでバランスするのだろうけれども。

そしてたぶん、そのバランスポイントの見極めが重要なのだろう。ただ、いままでは紙媒体vsネットという二極構造で見てしまっていた(そこにバランスポイントを置いていた)自分の視点というものに気付かされた。この視点は間違っているのかもしれないと。ならばネットは、どこへ行くのか。飲み込まれたコンテンツは、どんなエネルギーに変換され、何を引き起こすのか。

……眠い。
2006-04-27 06:00:25 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

Comment

コメント投稿機能は無効化されています。

Trackback

TrackBack投稿機能は無効化されています。