メッセージ。 - 「全ての批評を真摯にうけとめる必要なんて全くない」
# 「全ての批評を真摯にうけとめる必要なんて全くない」
作り手も、ネットやらの批評をいちいち気にしていてはやっていけない。全ての批評を真摯にうけとめる必要なんて全くない。
あ、これは本当にそう思う。そう思うんだけど、なんというか、忘れちゃうときもある。
文句を言われたら「すみません」と思っちゃいがちというか。相手が怒ってたらとにかくなんか悪いことしちゃったなぁと自己嫌悪に陥りがちというか。怒られた当初は「ごめんなさいごめんなさい」とか思うのだけど、後になって「おれそんな悪いことしたか?」と思い直したり。あと、自分が被害を受けているのに、そのときはなんか怒れなくて、後になってから腹立つこともあるよね。怒るというのは難しい。普段は怒るためのスイッチを切っているのだ。
これはある意味、雰囲気に流されているのだろうな。それが悪いこととは言わないけど。雰囲気に流されるということは、空気を読むことと表裏一体のような気がする。空気を読みすぎると、怒るスイッチを入れられない。雰囲気に流される。自分のペースを抑えて相手のペースと同調するというか。呼吸を合わせるというか。それは悪いことじゃないと思う。コミュニケーションには必要だろう。その一方で、いい意味で場のペース・雰囲気を外し、自分のペースに切り替えられるというのはすごい才能だ。お笑いというのは、この才能を技芸にしたものなんだと思う。
で、批評の話。うちの会社でもモノを作って売っているのだけど、とにかくクレームに対して気を使いすぎのような気がする。1つの製品当たり数万というオーダーで製品を売っていて、いくつかクレームが来るのは当然なのに。にもかかわらず、クレームが来ると設計担当者の評価が下りがちだ。クレームが来ないのがいい製品なのか? それって単に、「怒られるのが嫌」という個人的な問題なんじゃないかと思ってしまう。あとは、「謝るのが嫌」という人もいる。なんでだろう。なんでなんだろう。怒られたっていいし、謝ればいいじゃないかと思うのだ。# 謝るのなんてタダなんだし……などというぼくのコミュニケーション観は、大阪人的でアバンギャルドなんだろうけど。
まぁとにかく、「全ての批評を真摯にうけとめる必要なんて全くない」という感覚は大事だよなぁと思ったのだ。なんていうのかなぁ。枠を飛び越える感じ。一方でそれを気にしながら、一方でそれを大したことないと思える感覚。マルチバインディングをきちんと乗りこなせるというのは、才能だし価値のあることだと思う。一般に思われている以上にね。言語化しにくいから、評価しにくいところだろうとは思うけど。
あ、これは本当にそう思う。そう思うんだけど、なんというか、忘れちゃうときもある。
文句を言われたら「すみません」と思っちゃいがちというか。相手が怒ってたらとにかくなんか悪いことしちゃったなぁと自己嫌悪に陥りがちというか。怒られた当初は「ごめんなさいごめんなさい」とか思うのだけど、後になって「おれそんな悪いことしたか?」と思い直したり。あと、自分が被害を受けているのに、そのときはなんか怒れなくて、後になってから腹立つこともあるよね。怒るというのは難しい。普段は怒るためのスイッチを切っているのだ。
これはある意味、雰囲気に流されているのだろうな。それが悪いこととは言わないけど。雰囲気に流されるということは、空気を読むことと表裏一体のような気がする。空気を読みすぎると、怒るスイッチを入れられない。雰囲気に流される。自分のペースを抑えて相手のペースと同調するというか。呼吸を合わせるというか。それは悪いことじゃないと思う。コミュニケーションには必要だろう。その一方で、いい意味で場のペース・雰囲気を外し、自分のペースに切り替えられるというのはすごい才能だ。お笑いというのは、この才能を技芸にしたものなんだと思う。
で、批評の話。うちの会社でもモノを作って売っているのだけど、とにかくクレームに対して気を使いすぎのような気がする。1つの製品当たり数万というオーダーで製品を売っていて、いくつかクレームが来るのは当然なのに。にもかかわらず、クレームが来ると設計担当者の評価が下りがちだ。クレームが来ないのがいい製品なのか? それって単に、「怒られるのが嫌」という個人的な問題なんじゃないかと思ってしまう。あとは、「謝るのが嫌」という人もいる。なんでだろう。なんでなんだろう。怒られたっていいし、謝ればいいじゃないかと思うのだ。# 謝るのなんてタダなんだし……などというぼくのコミュニケーション観は、大阪人的でアバンギャルドなんだろうけど。
まぁとにかく、「全ての批評を真摯にうけとめる必要なんて全くない」という感覚は大事だよなぁと思ったのだ。なんていうのかなぁ。枠を飛び越える感じ。一方でそれを気にしながら、一方でそれを大したことないと思える感覚。マルチバインディングをきちんと乗りこなせるというのは、才能だし価値のあることだと思う。一般に思われている以上にね。言語化しにくいから、評価しにくいところだろうとは思うけど。
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