メッセージ。 - 楽しむことは生きること

# 楽しむことは生きること

 
 「どんな立場でも仕事は全力を尽くすもの」
 「たとえアルバイトであっても、全員が全力で取り組む職場。私の夢でもあります」

あ。これは好きな考え方だ。思い付くことをメモ。

個人的な意見だけど、人間はどんなときも楽しまなければいけないと思う。いや、人間に限らず、すべての生き物は楽しまなければいけないと思う。たとえば鳥は、空を飛ぶとき何を思うだろう。馬は、全力で大地を駆けるとき何を感じるだろう。あるいは赤ちゃんは、初めて歩けたとき、話せたとき、何かを分かったと思えたとき、どう感じるだろうか。

たぶん、「楽しい」と感じたんじゃないかと想像する。人は鳥を見て、「あの鳥のように、自由に大空を飛びまわりたい」と願うものだ。しかしきっと、鳥は人を見て、「あの人のように、自由に言葉を交わし、世界中を旅し、器用な手先でなにがしかを作ってみたい」と思っているのじゃないだろうか。

要するに、「あの鳥のように、自由に大空を飛びまわりたい」などと願うのはナンセンスということだ。人はすでに、自由に大空を飛びまわっている。それと同じぐらいすばらしいことを、毎日のように成し遂げている。すべての人間がだ。しかし、同時に人間はそのことを忘れている。初めて歩くことができたとき、話すことができたとき、字を書けたとき、何かを分かったと思えたとき、そのときのうれしさを忘れてしまっている。

生きるということ、そのために備わった能力が使えるということは、単純に楽しいことなんじゃないか。それがぼくの仮説。たとえば原始人は、狩猟というものを嫌々やっていただろうか。家で待つ人々は、嫌々子供の服を繕っていただろうか。ぼくにはそうは思えない。楽しんでいたのではないかという気がする。そう。仕事というものは、元来からして楽しいものなんじゃないかと考えている。

仕事というのは、楽しまなければいけない。あるいは、仕事以外のすべて、日常というものは、楽しまなければいけない。それが仏教で言うところの、仏の道であるだろうというのは、非常に納得のできる考え方だ。他人のためでなくたっていいと思う。単に楽しいと思えることを、人間にはしてほしい。嘘偽りのない「楽しさ」というものを追求してほしい。それが「善」であると、ぼくは信じている。
2006-05-15 01:05:16 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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