メッセージ。 -

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こないだのこと? ああ、「私という病」のときの話? んー。あのときの話はあまり気にしてないし、今日は眠くてボーっとしてる感じなので、「なんかあったっけ?」って感じかなぁ。

今回の話。ボーッとしながら感じる(「考える」というほど集中できない)に、まさしく「男の子の」とか「女の子の」とかが核心の気がする。ぼくは最初に「少女のようじゃないか」と表現したのだけど、これは性的自我の不在を感じたからなんだよね。

岩切さんの感じ方、面白がり方が、男と女の間に、壁を作っていないような気がした。まー「男の子のお祭りな感じ」という表現があるので、ぼくが間違っているのかもしれないけど。でもなんか、ここでの「男の子」というのは、子供の世界で言うところの「男の子」の気が、するというか。

なんつーかさ。中学生ぐらいになると、男どもが女のことを「女の子」とか表現するじゃん。「女の人」じゃなくて。そして同時に、女どもは男のことを「男の子」と表現する。「男の人」ではなくて。つまり、「男の子」や「女の子」には(少なくとも)2つの意味がある。元来の意味と、性的対象としての意味と。

でね。物陰からこっそり見守るというのも、非常に記号的だなぁと思うのです。ベタな表現としてよくあるじゃん。女の子が好きな男の子を物陰からこっそり見守るという演出。女の子が物陰からこっそり見守るのは、好きな男の子であってお祭りじゃない気がするんだよね……。

まー、なんか眠いから、自分でも何言ってるかよく分かんないんだけど。技術カンファレンスって、(性的存在としての)「男の子の」お祭りなのかなぁ。たしかにぼくも、女の人がたくさんいるお祭りには、これっぽっちも参加したいと思わないけど。でも男か女か、この文脈で意識すべきなのかなぁ。んー。

ちょいと家帰ってゆっくりしてから考えます……。
2006-05-16 23:21:01 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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