メッセージ。 - 存在と価値

# 存在と価値

あまりうまく考えがまとまらなかったのだけど、
ちょっと書いてみますね。自分の場合について。

Piroさんの日記を読んで一番最初に感じたのですけど、
ぼくはあまり個性という言葉は使わないみたいです。
自分の個性を自分で評価してるという感じじゃないんですね。

間違ってるかもしれないですけど、「個性」って、
それぞれの人が持つ形質というか、得意なことみたいな
イメージがあります。それで、ぼくは「自分に(ほかの人にはない)
得意なことがあるから、自分を好きでいられる」みたいな
考え方はしていないみたいです。

というか、逆にぼくはそういう意味で人に誇れるような
技術をほとんど持っていないので、そういうのは
拠り所にできないんですね。これについて、ぼくは確かに
苦しみました。でも、しょうがないと諦めるしかなかったし
まーいまも苦しんでいますけど。

でも、そういうのとは関係なく、普段楽しめています。
好きな人と一緒に遊んでいるからかなーと思ってるんですけど。

たとえば、こうして日記を書いたら、それを読んで楽しんでくれる
人がいるでしょう? ぼくは、ここを読んでくれている人の
ことが好きなので、その好きな人がここを読んで楽しんで
くれているのだろうなと思ったら、もうそれだけで楽しいです。

ぼくには何も得意なことはないし、文章力で人を楽しませることも
できないし、実際面白いことなんか何も書いていません。
ただ、ぼくが書くということそれ自体で、楽しんでくれる人がいる。
なぜそう思うかというとね、自分がほかの人にそう感じるからです。
ぼくは、普段付き合ったり、Web上で仲良くさせてもらってる
人たちに対して、面白いことや役に立つことを求めていない。
機能性じゃなくて、そこにいて、元気にやってくれていること
自体がすでにうれしい。

個性じゃなくて、そこに存在してくれていること自体に
価値を感じます。なにかあったら助けてくれる気がします。
そして逆に、ぼくはここにいて、もし友達たちになにか
起こったら手を差し延べたい。そのためにここに居られる
ことを、誇りに思い、うれしく感じます。

だからぼくは、ぼく自体に価値がないことを、それほど
悲しく思いません。ぼくに価値がなくても、ここにいることで
やれることがある。その「やれること」に、すごく大きな
価値を感じられるからです。

こうやってPiroさんとお話できるのも楽しいですよ。
それは、Piroさんの個性や機能性とは関係なく(全然関係なくも
ないでしょうけどまぁ、)楽しいような気がします。
Piroさんがそこにいて、存在という共通の興味を持って
くれているからじゃないかなぁ。
だってこんな話、なかなかできませんよ。
Piroさんがそこにいてくれるから、ぼんやり思っていたことを
こうして文章にできました。ぼくが存在しているだけでは、
この文章は生まれなかった。これを人に読んでもらうこともなかった。
だから、ぼくにとっては、とてもうれしいことです。
2006-05-25 13:42:55 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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