メッセージ。 - バッドなものをバッドじゃなくしていくこと
# バッドなものをバッドじゃなくしていくこと
http://nnri.dip.jp/~yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=1290#Commentの続き。
と書いたんですけど、でもそこで諦めない、歩みを止めないのが科学なんだと思います。
この世界という媒体の都合について研究すること。この媒体はいったい何なのかを知りたいと思うこと。
たとえば、天動説はバッドノウハウでした。その後、これを改良した地動説とニュートン力学が登場し「天動説はバッドだったねぇ」と皆で言い当ったのです。しかしそのニュートン力学さえバッドノウハウでした。ニュートン力学よりgoodな相対性理論が発見されたのです。
しかし、相対性理論とて万能ではありません。いずれきっと相対性理論もバッドノウハウ側に行くことになるでしょう。では、「相対性理論は無駄だったか?」と言うと、決してそうではありません。ニュートン力学も有用だった。天動説でさえ、きっとその時代では有用だったんです。
バッドなノウハウを、ちょっとずつバッドじゃなくしていくこと。これが科学であり「人間」(あるいは西洋科学)のこれまでの指針だったとぼくは思います。だから、歩みを進めること自体がバッドとは考えない。いや、考えなくもないですけど(どっちやねん)。でも「歩みを進めること自体がバッドノウハウ」かどうかは、もっと考える余地があると思います。
今回の問題に対して、「半角スペースを入れるべき」か「半角スペースを入れるべきではない」か構えるのは、ぼくも「バッド」だと思います。だけど、
「半角スペースを入れたほうがよい」か「半角スペースを入れないほうがよい」かと構えたとしたらどうでしょう? ぼくはそれは、バッドではないと考えます。なぜならそれは、科学的だからです。
上記科学の議論で述べたとおり、すべての媒体には特性というものが存在します。アルファベット前後の空白を計算機が自動的に処理してくれればそれが最高ですが、不可能です。計算機は人間の意図を理解できないから。ある程度媒体(この場合計算機)の特性に合わせるしかない。つまり、「入れたり入れなかったりのそれ自体」に、グッドかバッドかの違いは、存在すると考えます。
結局人間は、媒体の都合に合わせる以上のことができないッ!
と書いたんですけど、でもそこで諦めない、歩みを止めないのが科学なんだと思います。
この世界という媒体の都合について研究すること。この媒体はいったい何なのかを知りたいと思うこと。
たとえば、天動説はバッドノウハウでした。その後、これを改良した地動説とニュートン力学が登場し「天動説はバッドだったねぇ」と皆で言い当ったのです。しかしそのニュートン力学さえバッドノウハウでした。ニュートン力学よりgoodな相対性理論が発見されたのです。
しかし、相対性理論とて万能ではありません。いずれきっと相対性理論もバッドノウハウ側に行くことになるでしょう。では、「相対性理論は無駄だったか?」と言うと、決してそうではありません。ニュートン力学も有用だった。天動説でさえ、きっとその時代では有用だったんです。
バッドなノウハウを、ちょっとずつバッドじゃなくしていくこと。これが科学であり「人間」(あるいは西洋科学)のこれまでの指針だったとぼくは思います。だから、歩みを進めること自体がバッドとは考えない。いや、考えなくもないですけど(どっちやねん)。でも「歩みを進めること自体がバッドノウハウ」かどうかは、もっと考える余地があると思います。
というわけで、バッドノウハウなのは「半角スペースを入れるべき」とか「半角スペースを入れるべきではない」という構え方であって、入れたり入れなかったりのそれ自体はグッドでもバッドでもないと思うのだがどうだろう?
今回の問題に対して、「半角スペースを入れるべき」か「半角スペースを入れるべきではない」か構えるのは、ぼくも「バッド」だと思います。だけど、
「半角スペースを入れたほうがよい」か「半角スペースを入れないほうがよい」かと構えたとしたらどうでしょう? ぼくはそれは、バッドではないと考えます。なぜならそれは、科学的だからです。
上記科学の議論で述べたとおり、すべての媒体には特性というものが存在します。アルファベット前後の空白を計算機が自動的に処理してくれればそれが最高ですが、不可能です。計算機は人間の意図を理解できないから。ある程度媒体(この場合計算機)の特性に合わせるしかない。つまり、「入れたり入れなかったりのそれ自体」に、グッドかバッドかの違いは、存在すると考えます。
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