メッセージ。 -
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うーん。それもなんか違う気がしてきた。
「男ですみません」みたいなのは、謝罪の体裁をとった攻撃だ。
必要以上に自分を傷付けて傷口を見せることで、相手を非難している。
問題の本質を理解しようとせず、
安易に「すみません」、「もうしません」と謝罪する人の心の中には、
本当は、「これ以上かかわりあいたくない」という思いこそが存在する。
何かを本質的に改善したいという思いはなく、
一時的な感情の逃げ道を作っている。
なぜなら、何かを本質的に改善するというのは、しんどいことだから。
それは、問題と付き合っていくということだから。
逆に一番楽なのは、問題とかかわりあいにならないこと。
「男ですみません」みたいに自分の男性性を否定するのは、
その問題とかかわりあいたくないという、その人のスタンスを
あらわしていると思う。自分の性というものを非常に否定的に
とらえているからこそ、それを抑圧したくなる。
自らに否があることを無条件に受け入れる。
自分が男であることは、どうしようもないことだ。
「どうしようもない事実」を否定して抑圧しても、何も変わらない。
また、相手が異性であることも、どうしようもないことだ
「どうしようもない事実」をもとに誰かを非難しても、何も変わらない。
そこにはヒステリーが存在するだけだ。
ええと、それで、なにを書こうとしたんだっけかなぁ。眠くなってきちゃった。
逆に現象面を見ると、おいらの文章にはヒステリーが存在するなぁと
思ったのだ。
「なんでおいらは、こんな攻撃的な文章を書いちゃったのかなぁ」と。
そういうことを書きたかったような気がするけど。もうだめだ。
また明日考えます。おやすみなさい。
「男ですみません」みたいなのは、謝罪の体裁をとった攻撃だ。
必要以上に自分を傷付けて傷口を見せることで、相手を非難している。
問題の本質を理解しようとせず、
安易に「すみません」、「もうしません」と謝罪する人の心の中には、
本当は、「これ以上かかわりあいたくない」という思いこそが存在する。
何かを本質的に改善したいという思いはなく、
一時的な感情の逃げ道を作っている。
なぜなら、何かを本質的に改善するというのは、しんどいことだから。
それは、問題と付き合っていくということだから。
逆に一番楽なのは、問題とかかわりあいにならないこと。
「男ですみません」みたいに自分の男性性を否定するのは、
その問題とかかわりあいたくないという、その人のスタンスを
あらわしていると思う。自分の性というものを非常に否定的に
とらえているからこそ、それを抑圧したくなる。
自らに否があることを無条件に受け入れる。
自分が男であることは、どうしようもないことだ。
「どうしようもない事実」を否定して抑圧しても、何も変わらない。
また、相手が異性であることも、どうしようもないことだ
「どうしようもない事実」をもとに誰かを非難しても、何も変わらない。
そこにはヒステリーが存在するだけだ。
ええと、それで、なにを書こうとしたんだっけかなぁ。眠くなってきちゃった。
逆に現象面を見ると、おいらの文章にはヒステリーが存在するなぁと
思ったのだ。
「なんでおいらは、こんな攻撃的な文章を書いちゃったのかなぁ」と。
そういうことを書きたかったような気がするけど。もうだめだ。
また明日考えます。おやすみなさい。
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