メッセージ。 - コメントありがとうございます。

# コメントありがとうございます。

 ふじさわさんは、私が局に送ったコメントがただ学術的なだけで面白くなかったという前提で書いておられるようですが、それはどういう根拠からでしょうか?

これについては根拠なしに書きました。語弊も間違いも含まれていると思います。すみません。ただ、コメントや原稿が「面白いかどうか」というのは、非常に難しい問題でして。作っている媒体制作者でさえよく分からないのです(映画などでも当たり外れがあるようなものですね)。

ですので、一般論として、あるいは科学的な方法論でそれが「面白いかどうか」は評価できません。テレビならテレビの、出版なら編集担当者の手に任せるしかないのです(彼らの目に狂いがあれば、市場によって淘汰されるはず、というのが資本主義の考え方ですね)。

個人的には、大野さんの文章・意見は面白いと思いますよ。ですからいつも読ませていただいています。でも、媒体で紹介されるということは、まずその媒体担当者を「面白い」と思わせるかどうかが関門なんです。その人を「面白い」と思わせられなければ、それは「面白くない」のです。

だから結局、なにが出来るかどうかは制作担当者の能力や、センスにも依ります。でも、もうそれはやってみないと分からない。メディアの素材になるということは、賭けなんです。制作者に、自分の素材を預けられるかどうか。相手の能力や人間性が、自分の努力やアウトプットに対して見合ったものであるかどうか。

それは事前には分からない。だから、メディアでの仕事を引き受けるということは、そういう扱いを受けるかもしれないことを覚悟するということです。実はみんな、そうしてるんですよ。メディアで仕事をしている人は感じています。内田樹さんが「毎日新聞に送った原稿がまともに扱われて感動した。プロの仕事だ」という趣旨のことを書いておられましたけど、逆に言えばプロの仕事に出合えるのはそれほど稀だということです。

また、メディアで仕事を引き受けるのとは逆に、メディアが専門家に仕事を依頼するときも同じなんです。その専門家が、要求した水準やセンスに見合ったものを出してくれるかは、事前には分からない。賭けなんです。

メディアの側からすると、専門家から「使えない」素材を受け取ったときの苦悩は大きいです。せっかく仕事をしていただいたのに、それをつまらないとは言いにくい。本来なら、「ここを改善してほしい」と伝えて、コラボレーションして、「面白く、かつ価値のあるもの」にできるのが最善なんです。でも、相手と信頼関係がないとそれはできない。

かと言って、「ジェンダー論という言葉も私の名も放送すべきではない」と素材制作者が思うかどうか分からない。それでも名前が、メディアに出るほうがよいという考えもあります。人それぞれなんです。素材制作者それぞれに思いがある。それぞれを汲み上げたい。でも、小さなメディアでは、制作費の余裕がなく、素材制作者と意見を交換するコストが負担なんですよ。

しんどいです。いただいた素材を扱うのはすごくしんどい。良くない素材をいただいてしまって、相手を傷付けずにそれをできるだけ生かす苦悩。顧客を裏切らないクオリティを出す苦悩。自分の能力が足りずに素材を思うように生かせない苦悩。それを理解してあげられないと、いつまでたっても、あなたはあなたの殻から抜け出せない。


いろいろ書いてますけど、今回の件はぼくが間違っているかもしれません。失礼なことを書いていると思います。申し訳ないです。

ただ、複数の第三者に見てもらっているということなので、もしできれば、書籍を担当していただいた編集者や、内田さんのようにメディアで活躍していらっしゃる方にも意見を聞いていただければと思います。

いや、皮肉じゃなくそうしていただければ、あなたや皆の役に立つと思うのですよ。「皆の役に立つと思う」のなら言うだけじゃなく、本当はぼくも努力しなきゃいけないんですけどね。
2006-07-08 14:13:43 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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