メッセージ。 - 感じ方の周辺2題

# 感じ方の周辺2題

 
 「萌え」っていうのは、女の子の「カワイー」と一緒で、とりあえずそれだけ言っておけば、相手が "それなりに解釈して適当に共感" してくれる便利な言葉なんだろうなぁ。

おー。これはやけに腑に落ちる感じがしました。男の子たちも群れ化しているってことですかね。

 
 国語の試験というのは一般常識と「教師への服従度」をテストするためだけのものである。

これはぼくは、小学校低学年ごろに感じてたなぁ。正確には、「教師への服従度」ではなくて「教師の望む答」が望まれていると考えていたけど。ただ、そのころのぼくは読みが甘くって、「教師の望む答」イコール道徳的回答だろうと思っていたのだ(あれ? もしかしてこれは、新山さんの言う一般常識かな? まーとりあえず置いておいて)。

この認識が誤りであるらしいことを、国語の成績は徐々に証明していった。小学校4年生に達するころ、ぼくは国語がニガテな生徒になりつつあったからだ。いま思えば、道徳というのは、ぼくが思っていた以上にブレのある観念で、教師の道徳観を読むのは難しかったのだなぁ。

また、小学校高学年のころには、教師は道徳的要請だけでなく、国語教育的要請をも行動基準とするのかもしれないと予測。「文学者的価値観というのは、決してまっすぐではないのかもしれない」とも薄々気付きじめたのだ。だけど、そうするとこんどは、価値相対化ファクターが多過ぎた。結局ぼくは、国語という壁の前でとくになす術を持たなくなってしまったのだった。
2006-08-22 00:59:15 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

Comment

# 国語

答案用紙の裏まで使って解釈論争とかメタ論争(「この問題を出題することにどれほどの意味があるのか」)をふっかけてました。
それにまたびっしりと赤ペンで回答を寄せてくれて、さらに満点をくれた高校時代の国語教師に感謝してます。
2006-08-22 05:43:40 / shiro / Comment: 1 / Trackback: 0

#

ふぅーむ。すごいですねぇ。
なんというか、そういう素直さや、現実に対して正面からぶつかるような意思を、高校生のころのぼくは持てていませんでした。(まぁ、ある意味いまもそうかもしれません。) そういう生徒に、まっすぐ返事をしてくれるような先生がいるというのも、素敵なことですね。すごいなぁ。
2006-08-22 12:40:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
コメント投稿機能は無効化されています。

Trackback

TrackBack投稿機能は無効化されています。