メッセージ。 - 傷付くこと自体は悪ではない気がする

# 傷付くこと自体は悪ではない気がする

傷付くというのは、心が痛いってことでしょう? で、心が痛いこと自体は悪いことじゃない気がするんだよね。

たとえば孫悟空の如意輪は、孫悟空が悪さをしたり、わがままを言ったりすると、孫悟空の頭を締め付ける。孫悟空はそのたびに頭が痛くって、いまいましいと思いながら旅をしている。お釈迦さまに会って、如意輪を外してもらうための旅だ。

でも、お釈迦さまによると、如意輪は孫悟空のために、彼の頭を痛めつけるのだという。彼を苦しめる如意輪は、彼の人生をよいものにするために、お釈迦さまが授けたものだ。お釈迦さまの言うことが本当なら、如意輪による痛みや苦しみは、憎むべきものなんかじゃ全然ない。

痛くて苦しくて嫌なものだけど、それはないと困るのだ。その痛みを憎んで、亡きものにしてしまえば、孫悟空にはもっと大きな苦しみが待っている。痛みは、痛みそのものは悪ではないケースがあるということだよね。

ぼくはこれは、心の痛みにも言えると思うんだ。心が痛いのは、単に表面上のこと(syntax)で、本当は、もっと大きな意味(semantics)の中で、それはうれしい便りの1つなのかもしれない。痛み自体が、その後ろの意味と直結しているわけじゃない。

だからぼくは、誰かを傷付けてしまったり、誰かから傷付けられることを、必要以上に悲しく思わない。傷付くということを怖れない。本当に大事なことは、その先にあると思うから。
2006-08-30 13:39:42 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

Comment

コメント投稿機能は無効化されています。

Trackback

TrackBack投稿機能は無効化されています。