メッセージ。 - 人間は間違える

# 人間は間違える

だが、それがいい。

 
 むしろ人前に公開するインフォーマルな文章というものは,多分に間違いや恥ずかしさを含んでいるような内容の方が望ましいのではないか ?
 
 もしこっぴどく批判などされたらシメタもの.別の方向から考える良いきっかけになる.
 
 # とはいえまぁ,現実には大多数はスルーされてしまうか.それだけならまだしも,正面からアイデンティティーを明らかにして (実名である必要は特に無い) 自分の意見も言うことさえできないようなクズばっかりの Web 上では,リスクが高すぎるのかもしれませんが.なんで,その人の「意見,主張」に対する批判なのに,それを即「人格まるごと」への攻撃と受け取る人間ばっかりなのかなぁ.僕にはあまり理解できない.
 
 そういう恥ずかしいことは言わないで,立派に見えそうな意見だけを厳選して話すっていう姿勢は,無難で賢明なのかもしれないけど,進歩が無い.ある程度の社会的地位を持ってしまい,発言に影響力が出てしまうと,そういうことが気軽にできなくなるから,人間としての成長は止まってしまう.上に行けば行くほど,人間は無能になっていくのは必然の理.

あっ。そう! まさしくそのとおりだと思う。本当に価値のある表現って、素直に「感じたことをありのまま話したもの」なんだよ。自分の感じたことが、間違ってたり、偏ってたりすると恥ずかしいけど。でも、表に出さないことには直せない。軌道修正できない。人間というのは、この小さな窓からしか世界を見れない。いつも一面的だ。だけど、みんながいる。自分以外の人から、世界がどんな風に見えるか教えてもらえばいい。

優れた人は、そうやって価値観を修正していく。ものごとを多面的に見て、真実に近付いていく。そしてどんどん優れたアウトプットを出していくんだ。だからむしろ、あなたの発言は間違っててもいい。間違っているかもしれないことを、表に出せるというのは勇気だ。そして、勇気こそが、有り難い。勇気にこそ価値がある。優れた科学者には子供っぽい人が多いというけど、勇気というものを、それと意識せずに使えるポジティブフィードバック回路を備えているからだというのがぼくの考え。

だからね。優れた科学者とかそういうのでなくても、みんなどんどん間違ったことを言えばいいと思う。普通の人が、日々感じる何げないことがすごく美しい。偏ってたり、間違ってたりしても、素直に感じたことでさえあれば面白い。それこそが本物の意味であり、価値なんだとぼくは思う。 
2006-09-13 16:11:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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