メッセージ。 - 科学でカエル病は治らない
# 科学でカエル病は治らない
インタビューで、「餌を見ることができないで飢死するカエル」の話が何度か出てくる。これは以前、ケイ氏がスピーチの中で使った例えで、私たち無知な人間の象徴だ。カエルは動くハエしか餌として認識できないため、死んだハエを目の前に置いても気付かないのだそうだ。逆にボール紙などで作った疑似餌を動かすと飛びつくが、疑似餌だから食べられない。ケイ氏の話はこう続く。私たちも実はこのカエルと同レベルで、気付かない物事が多い。そしてそれを普通だと思い込み、すぐに二者択一的な考えをする。しかしまず自分が気付いていないということに気付いてみよ。すると、ほかに方法はないか考えるという科学的思考が始められるようになる。世の中の人が皆そのような理性を身につければ、科学は進歩し、短絡的な善悪判断による紛争もなくなるかもしれない。
いいことを言っているし、カエルの話はまさにそのとおりだと思う。ただぼくは、科学がカエル病の特効薬になるとは思わない。
たしかに、500年前のヨーロッパで識字率は1%だったのだろう。いまはもっとずっと高い。だけど、カエル病の人間は増えていないし減ってもいないんじゃないかなぁ。少なくとも近代日本の状況を見ているとそう感じる。科学は、カエル病を直したりはしない。
カエルに比べたら、人間は何百倍も賢いし、たくさんのことを知っているはずだ。だけど、カエルと人間を見比べて、どちらが愚かかを断言するのは難しい。
「科学は進歩し、短絡的な善悪判断による紛争もなくなるかもしれない」と言うけれども、これは間違いだと思うよ。なぜなら、いくら科学が進歩しても、短絡的な善悪判断は、人間の心の中から追い出せないだろうから。
というのも、「善悪」というのは主観的なものだからだ。たとえば「死」。多くの人は「死」を悪に分類するだろう。しかし、死などというものはこの世界に万遍なく存在している。いまこの瞬間も、地球の裏側で、海の底で、空のかなたで、砂漠の砂の中で、人も動物も植物も昆虫も死に瀕している。だけど、それを問題視する人はいないし、実際それは問題じゃない。
誰も死なない世界というのが望まれないからだ。誰も死なないのならば、誰も生まれ得ない。キャパシティは有限だから。ならば、誰かが死ぬしかない。有限なキャパシティ(つまりこの世界)を「善」と見なすなら、「死」もまた善だ。生もまた善。誰かが死に、誰かが生まれるのが「自然」だ。ただ、誰もがみな「自分が死ぬのは嫌」というだけ。
これを、短絡的な善悪判断と言わずして何と言おう。科学的に見て、死は善だ(この世界の、自然を善だとするならば)。だけど多くの人は、死に面して悲しみ、嘆き、それを避けようとする。別の誰かに死を押し付けようとする。それと同じエネルギーは、今日も地球のどこかで紛争に使われている。500年先もきっと同じ。科学的な意味での「善」が「悪」を引き起こしている。
科学は人の魂を救いなどしない。何も変えない。500年前の人類は、いまの人類と同じだけ幸せだったし、きっと500年後の人類も、カエルだって同じだけ幸せだ。ぼくはそう信じる。
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最初はもっと客観的に、議論可能な閉じた問題を扱うつもりだったのに、変な方向に話が進んでしまって、放り投げてしまった感があります。失敗でした。
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