メッセージ。 - 「絶対必要」なもの

# 「絶対必要」なもの

インターネットって「絶対必要」? そんなことないよねぇ……? 別にそんなもの、ないならないで別の遊び方があるじゃん。たとえばぼくが江戸時代に生まれてて、インターネットなんかなかったとしても、別の方法でいまと同じだけ毎日を楽しんでいたと思う。みんなもそうでしょ?

なんというか、『インターネットが「絶対必要」』だなんて、与えられたものに依存しすぎな気がする。そんなもの、絶対必要でなんてあるはずがない。たとえば、オープンソースのハッカーたちは、名実ともにインターネットの利用度が最も高い人たちだと思うけど、彼らに聞いて「インターネットは絶対必要」とか言うか? 言わないように思う。

彼らは、「インターネット」がなければ自分で作るはずだ。それは、技術上の制約などから、「インターネット」という名前じゃないかもしれない。だけどきっと、インターネット的なものを彼らは作って、遊ぶと思う。

そもそも彼らが、現在オープンソースのプログラミングで遊んでいるというのは、インターネットを作るという行為と、ある意味論のうえで何の違いもない。オープンソースのハッカーたちが30年前に生まれていたら、きっと彼らはインターネットを作っていただろう。媒体は違うけど、やっていることはどっちもハック。ハックという意味で同じだ。

つまり、相似形をなしている。かつてインターネットを作った人たちは、現在オープンソースのハックをしている人たちと、きっと同じような気持ちで作業していたに違いないから。そしてそれは、オープンソースとか、インターネットとかに限らない。科学技術もそうだろうし、ルネサンスもそうだろうし、未開の地を開拓した人たちもそうだったろう。

「絶対必要」なものなど、本来この世界にはほとんどないんだ。だけど人は、ありもしないレールの上を外れないように歩こうと,毎日キュウキュウする生活に、容易にはまりこむ。つい10年前にはなかったものを、「絶対必要」だと思い込む。「これが絶対必要」だなどと容易に言うならば、それがなかった10年前、あなたの生活はそれほど惨めなものだったのか? 違うでしょう?

「絶対」が軽すぎる。「必要」が軽すぎる。それはつまり、自分が軽すぎるということ。でもそれって、つまらないと思うんだ。軽い絶対、軽い必要、軽い自分は、つまらない。だってそれって、どうでもいいってことでしょう? どうでもいいなんて、つまらないじゃないか。

インターネットが必要って言うけど、そうじゃないよね。もっと本当に必要なものがある。その本当に必要なものが手に入るなら、入手経路がインターネットかどうかなんて、どうでもいい。媒体なんて何だっていいんだ。その先にあるものが大事で、いま手の中にあるものが大事なんだ。どんな媒体でだって、ぼくらはあの目的に向かって突き進む。もっと人は、自分にとって「絶対必要」なものが何か、ちゃんと考えるべきじゃないかな。
2006-10-06 20:29:15 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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