メッセージ。 - 問題と当事者

# 問題と当事者

わー。すごく素敵な方を見つけた。うれしいなぁ。

 
  児童虐待があれば「児童相談所の介入が遅れたんじゃないのか」、「学校の先生が気が付いてたらよかったんじゃないのか」「親がきちがいなんしゃないのか」。
  そんなふうにすぐ犯人探しをはじめる言説状況を見ていて、それも違うと思う。そういうのにふきあがってるだけ人みてても、私はとても冷めてしまいます。
 
  人間関係や家族関係ってそんな単純じゃないはずです。
  他人におせっかい焼くのも大変気を遣うことです。
  
  でもね、私は、その男の子と親を何とか救おう、何とか力になってあげよう、何とか理解しようとする気持ちがある世界のほうが、ずっと生きやすい世界ではないかと思います。

これは本当にそのとおりだと思う。なんというのかなぁ。テレビのワイドショーでもそうだけど、なにか事件があったとき、人間はすぐ犯人探し・原因探しをしてしまう。「あの家はあそこがおかしかった」とか、「普通に見えていたのに」とか。でもなんか、それって違うと思う。どこの家にだって問題はあるし、誰の心の中にも孤独や闇はある。だから原因はどこにだってあるし、誰だっていつ犯罪の崖から落ちるか分からないんだ。それは他人事ではない。

他人事ではないんだ。でも、まさにその事実を人間は嫌う。「あの家はあそこがおかしかった」とか、「普通に見えていたのに」とか言って、「自分とは違う」と思うことで安心したがる。「だから自分は大丈夫だ」って。線を引いて、事件を自分とは違う側に置いて、それで関係ないように思いたがる。でも、それで問題解決すんの? しないよね。事件を予防できるの? できないよね?

誰もがみな、嫌なことから目をそらして生きている。なにかあっても他人事だと考え、自分は安全だから、悪いことをしていないから、あんな変態とは違うから、あんな馬鹿ではないから、犬や猿とは違うから、そうやって見たくないものから目をそらし、見たいものだけを見て生きている。でも全然違うと思う。人間は誰だって安全な場所になんていないし、悪いことをしているし、変態だし馬鹿だし、犬や猿と基本的に同じ。

生きるということは病むということ。誰もがみな、不自由で足りない。それは悲しい。だけどすばらしくもある。あなたの病が、もしつらくて悲しいのなら、きっと隣にいる人もそうなんだ。あなたの病が、つらくて悲しくて、誰かに慰めてほしいのなら、隣にいる人を慰めてあげてほしい。それができるんだから、いいでしょ? この病も悪くないと思えるでしょ? この病は、死ぬまで治らない。あなたも、あなたのお父さんお母さんも、子供も、友達も、その当事者だ。ねぇ……、当事者って、悪くないよ。けっこう楽しいよ。
2006-10-13 10:26:11 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

Comment

コメント投稿機能は無効化されています。

Trackback

TrackBack投稿機能は無効化されています。