メッセージ。 - 痴漢の本質はソーシャルハラスメントではないか
# 痴漢の本質はソーシャルハラスメントではないか
# このエントリ、読むと腹が立つかもしれません。気持ちに余裕のあるときに読んでくださいませ。あと、リンク先の動画は、見ると気分が悪くなるので、見ないほうがいいです。
YouTube - 小野真弓
なにこれ? 女の子嫌がってるやん! 男はなんでこんなことするの?(怒) また、女も女で、こういうときは怒っていいと思う。第三者もいるんだし、泥縄になるまで殴りあいの喧嘩をしたらいい。あるいは、こんなくだらない仕事は即座にボイコットすべきだ。
なんつーのかなぁ。こういう行為は公開痴漢だし、ソーシャルハラスメントだなと思った。多くの人は、公共の場で「求められている振る舞い」をしようと努めている。テレビに出ている女の子は、「テレビに出ている女の子として」怒った顔や、取り乱した顔を見せないよう求められていると感じるだろうし、番組を良いものにしようと司会の仕事に務めるべきだと考えているだろう。それは、満員の通勤電車に乗る女性が、ほかのサラリーマンと同じように、他者に迷惑をかけないよう静かに我慢しながら、その時間を過ごすよう求められていると感じるのと同じ構図だ。
だけど世の中には、そういった社会的な義務遂行意識に対して、挑戦しようとする人間がいる。公共の場で「求められている振る舞い」をしようと努めている人に対して、その振る舞いが遂行できないよう実力を行使する人間だ。そういった障害に対面したとき、女性の多くは「求められている振る舞い」を継続すべきという抑圧的な超自我をはね除けられず、パニック状態になる。「求められている振る舞い」を優先してしまって、嫌なことをされても嫌だと言えなくなる。それは苦しいことだ。
逆に痴漢は、そういった社会的な義務遂行意識を利用していて、そこが卑劣だ。社会的な義務遂行意識そのものは、男も女も持つものといえる。でも、男性が感じる義務遂行意識は、ある程度日常の中で局所化しており、攻撃されにくい。たとえば「男らしくあること」とは、仕事ができることであり、社会的機能を実行する能力であり、理性的なことだろう。程度の差こそあれ、男性は無意識下でこういった「義務」を遂行するよう求められていると感じている。多くの男性は、仕事ができないことや、社会的機能を実行する能力がないこと、理性的でないことを公衆の面前で証明されると、腹が立つだろう。女性が痴漢を嫌うのもそれと同じだ。
女性が社会から求められている義務遂行は、日常のいろんなところに顔を出している。「女性の仕事は恋愛だ」というのは差別的意識を感じるし極論だと思うけど、社会にそういう雰囲気があるのは事実だと思う。要するに、「恋愛する能力があること」に対して義務感を感じていると思うのだ(それが良いか悪いかは別として)。だから多くの女性は、公衆の面前で性的醜態をさらすことを嫌がるし、教えられたように貞淑であろうと務める。痴漢というのは、そういった社会的義務遂行意識を悪用する行為といえる。それは社会的義務自体を否定する行為だ。だから社会人にとってそれは(ある程度以上)卑劣だ。社会的義務遂行意識の強い人ほどその被害に苦しむ。痴漢の本質は、ソーシャルハラスメントなんじゃないだろうか。
逆に言えば、社会的義務遂行意識なんて捨ててしまわなければ、痴漢とは戦えない。ソーシャルハラスメントと戦えない人は、真面目すぎるんだろう。真面目なのはいいことだ。いや、真面目な人は、ぼくは好きだ。でもね。たまには、痴漢と戦ってほしいと思う。嫌なことは嫌だと言っていいと思う。そうでないと、つらすぎるもん。いや、これは脱線か。とにかくもう、なんつーか、こういう嫌なことは避けられないもんか。
YouTube - 小野真弓
なにこれ? 女の子嫌がってるやん! 男はなんでこんなことするの?(怒) また、女も女で、こういうときは怒っていいと思う。第三者もいるんだし、泥縄になるまで殴りあいの喧嘩をしたらいい。あるいは、こんなくだらない仕事は即座にボイコットすべきだ。
なんつーのかなぁ。こういう行為は公開痴漢だし、ソーシャルハラスメントだなと思った。多くの人は、公共の場で「求められている振る舞い」をしようと努めている。テレビに出ている女の子は、「テレビに出ている女の子として」怒った顔や、取り乱した顔を見せないよう求められていると感じるだろうし、番組を良いものにしようと司会の仕事に務めるべきだと考えているだろう。それは、満員の通勤電車に乗る女性が、ほかのサラリーマンと同じように、他者に迷惑をかけないよう静かに我慢しながら、その時間を過ごすよう求められていると感じるのと同じ構図だ。
だけど世の中には、そういった社会的な義務遂行意識に対して、挑戦しようとする人間がいる。公共の場で「求められている振る舞い」をしようと努めている人に対して、その振る舞いが遂行できないよう実力を行使する人間だ。そういった障害に対面したとき、女性の多くは「求められている振る舞い」を継続すべきという抑圧的な超自我をはね除けられず、パニック状態になる。「求められている振る舞い」を優先してしまって、嫌なことをされても嫌だと言えなくなる。それは苦しいことだ。
逆に痴漢は、そういった社会的な義務遂行意識を利用していて、そこが卑劣だ。社会的な義務遂行意識そのものは、男も女も持つものといえる。でも、男性が感じる義務遂行意識は、ある程度日常の中で局所化しており、攻撃されにくい。たとえば「男らしくあること」とは、仕事ができることであり、社会的機能を実行する能力であり、理性的なことだろう。程度の差こそあれ、男性は無意識下でこういった「義務」を遂行するよう求められていると感じている。多くの男性は、仕事ができないことや、社会的機能を実行する能力がないこと、理性的でないことを公衆の面前で証明されると、腹が立つだろう。女性が痴漢を嫌うのもそれと同じだ。
女性が社会から求められている義務遂行は、日常のいろんなところに顔を出している。「女性の仕事は恋愛だ」というのは差別的意識を感じるし極論だと思うけど、社会にそういう雰囲気があるのは事実だと思う。要するに、「恋愛する能力があること」に対して義務感を感じていると思うのだ(それが良いか悪いかは別として)。だから多くの女性は、公衆の面前で性的醜態をさらすことを嫌がるし、教えられたように貞淑であろうと務める。痴漢というのは、そういった社会的義務遂行意識を悪用する行為といえる。それは社会的義務自体を否定する行為だ。だから社会人にとってそれは(ある程度以上)卑劣だ。社会的義務遂行意識の強い人ほどその被害に苦しむ。痴漢の本質は、ソーシャルハラスメントなんじゃないだろうか。
逆に言えば、社会的義務遂行意識なんて捨ててしまわなければ、痴漢とは戦えない。ソーシャルハラスメントと戦えない人は、真面目すぎるんだろう。真面目なのはいいことだ。いや、真面目な人は、ぼくは好きだ。でもね。たまには、痴漢と戦ってほしいと思う。嫌なことは嫌だと言っていいと思う。そうでないと、つらすぎるもん。いや、これは脱線か。とにかくもう、なんつーか、こういう嫌なことは避けられないもんか。
Comment
# セクハラ芸人の是非
そんな「セクハラキャラなどという芸風をテレビでやるな」という意見は全くの正論として同意ですが。
個人的には、そもそもテレビのバラエティは宴会芸や弱者いじめなど封建的な風習が支配的な場所なので、それを期待するのも不毛かなぁと思っています。
例えるなら「パチンコ屋が街に有るとうるさくて邪魔だ」「パチンコ屋は煙草の煙が酷い」と正論を言っている感じでしょうか。正論では有るが、彼らはうるさいのも煙いのも当然の文化で生きているのでね存在そのものをなんとかしない限りどうにも成らない。だから各論を言ってもノイズになってしまう。
またカイヤ川崎など「セクハラキャラにちゃんと怒る女性キャラ」というのもテレビ的に用意されていたりします。
つまりテレビのバラエティという逸脱した舞台の上という特殊文化のルールと、日常のハラスメントを同列で論じるのは無茶が有って見誤りそうだなぁと。
どつき漫才をみて「あれは暴行傷害で犯罪に成る」と言ってしまうようなもんかなぁと。
# おお! いまの世の中...
まずはっきりさせたいのですが、otsuneさんの指摘はもっともだと思ってて、反論する気は毛頭ないです。
で、そのうえで補足なんですが。ぼくはセクハラ芸人みたいなのをあまり知らなくて(小野真弓さんは知ってます)、先入観なしにあれを見て、単純に腹が立ったんですよね。で、はてブでのみんなのコメントを見て、「怒ってる人が誰もいないのはおかしいな。なにかぼくの知らない情報があるな」とは思っとりました。
それで、まぁあれがテレビのコンテンツということも分かってるので、テレビ的なお約束の世界の演出である可能性というのも理解していました。なので、テレビの中の社会性というのは、それはそれでアリだと思っていますし、「小野真弓さんが可哀想」とは思うけど、「まぁそういう仕事でもあるよな」という認識です。
一方で、そういう前提と切り離して、小野真弓さんの嫌がるリアクションというのは本物っぽいと感じたんですよね。しかもぼくは、あれを観て「単なるセクハラ」ではなく痴漢に近いと思いました。それらを包含する別の概念で説明できるんじゃないかと。映像に残っている(ある程度)本物のコミュニケーションを題材として、社会的なテーゼを提示できるのではないかと考えました。その仮説がうえの文章です。
ですので、まぁ怒って書いてはいますけど、ちょっと確信犯なところもあります。あの映像をageること自体が、小野真弓さんを傷付ける可能性もあるなと考えましたので(本人はもう思い出したくもないんじゃないかなぁと)。でも、彼女の仕事はそういう仕事でもあるわけで、次の被害者を出さないためにもここで問題点を明確にするために、スケープゴートになってもらうことには同意していただけるんじゃないかなとか。
まぁそういう感じです。個人的に腹は立ちましたけど、社会実験の素材としてセクハラ芸人というのは、役に立ってるように思います。テレビの中の虚構自体が、素材として使えるよなぁと。本人らは合意のうえでやってるでしょうし、彼らがあのようなコンテンツを提供すること自体はそう問題だと思っとりません。テレビは社会を写す箱庭みたいなもので、メタな問題を炙り出すための有効な道具ではないかという感じです。
あ、ちなみにテレビ業界についての細かい説明、非常に勉強になりました。ここを読んだ方にも参考になったと思います。ありがとうございます。
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