メッセージ。 - 続・第三者的スタンスを固持する男性について

# 続・第三者的スタンスを固持する男性について

第三者的スタンスを固持する男性についてが、どうもいまいち伝わっていない気がする(とくに女性に)。ということで、もうちょっと考えてみました。

……たとえばですね。女の人は傾向として、「守ってほしい」と思ってしまう部分が心の中にあると思うんです。白馬の王子様とか、ああいうやつですね。で、「守ってほしい」と思ってしまうときがあるという人に質問なんですけど。そういう「守ってほしい」っていう感じは、社会通念上自分に生まれた感覚だと思われるでしょうか? それとも、生理的なものだと思われるでしょうか? 先天的なものと感じるか、後天的なものと感じるかと聞いてもいいかもしれません。

なんとなくですけど、両方あるんじゃないかという気がします。つまり、生理的に「守ってほしい」という欲求のようなものがあるし、社会通念上(後天的な環境によって)そう考えるのが自然なような気がすると。で、まぁそう感じると仮定して話を進めますと、実は男にも同じような感じがあります。ただし、ベクトルはちょっと違っていて、男は「守ってほしい」ではなくて、「守ってあげたい」と感じてしまうのです。

でもですね。守ってあげるには、体が強くなくてはいけません。頭が良くなくてはなりません。お金を持っている必要があるかもしれません。そのほか、いろいろ必要でしょう。でもとにかく、なにか役に立つ機能が必要です。ただそこにいて、好き勝手なことを言っていればいいというものではないと感じてしまいます。「守ってあげたい」という生理的欲求が、無意識的に働いて、機能性にあこがれを持ってしまうとしたらどうでしょう?

そういう観点で見れば、「第三者的スタンス」というのは、機能性に対する純粋な思いであり、引いては「守ってあげたい」という気持ちの結晶であると考えられます。第三者的スタンスをとってしまうというのは、ある種の男にとっては、生理的にも社会通念上も、楽だし自然なことのように感じられるんですね。逆に、「根拠なんてなくてもいいから、思ったことを言え」と言われたら、とまどってしまいます。それは必ずしも「守ってあげたい」という欲求を満たさない。むしろ、社会に波紋を投げかけて、守るべきものを危険にさらすかもしれない。

そういう感じが、男の無意識を支配しているとしたらどうでしょう? 「根拠なんてなくてもいいから、思ったことを言え」と言われて、男性が困ってしまうのも理解できますよね。

……なんとなくですけど、逆にそういうことを言いたくなるのは、母性をルーツにしているかもしれないなぁと思いました。そういう主張を女性がするとき、「機能なんてなくてもいいから、あなたの好きなようにしなさい」という、母性的な欲求があるんじゃないかなって。あるいは、男をもてあそぶ悪戯心のようなものが、あるのかもしれませんけど。
2006-10-23 19:34:32 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

Comment

コメント投稿機能は無効化されています。

Trackback

TrackBack投稿機能は無効化されています。