メッセージ。 - なんとなく、いじめについて思うこと
# なんとなく、いじめについて思うこと
いじめが成立するのは、いじめられているほうが、「いじめられてる」って認めたときだと思うんだよね。
たとえばさ…。子供って、つまらない駄洒落みたいな囃し言葉でからかったりするでしょ?
あの駄洒落って、「どこが面白いの?」というのが多い。
で、当の本人たちもそれのどこが面白いのか分かっていない。囃すほうも囃されるほうも。
囃すほうはただなんとなくやっていて、それに対して囃されるほうが「期待したリアクション」を取ることで満足する。
たとえばぼくは、あるとき「ふじさわ」と書いた名前の「さ」の字が×に見えるということで、「ふじぺけ!」、「ふじぺけ!]とからかわれたときがあった。
これに対して、いちいち怒ったり嫌がったりして抗議すると、囃し立てた人間たちはますますその嫌がらせを続けた。「なにが面白いねん」と冷めた目で見返すほうが、被害の拡大を防げたように思う。
いま思うに、彼らはたぶん、強い者と弱い者の構図が欲しいだけだったんじゃないかな。そして、誰かに嫌がらせをして相手が嫌がるところを見ることで、その構図を作り出そうとしていたような気がする。
だとしたら、嫌がらせをされたとき、嫌がって見せるのが一番マズい対応なんじゃないかな。だって彼らは、「嫌がらせをする側とされる側」という構図を作りたいだけだから。一度嫌がらせをされる側に回ってしまうと、なかなかその構図から抜け出せない。
彼らは、嫌がらせゲームという序列を作る。そしてそれぞれが、序列の下位にいる者を押さえこんで、自分の序列を維持しようとする。序列の下位に位置づけられると、自分が嫌がらせをされてしまうからだ。
嫌がらせやいじめが嫌いなら、その序列で上位を目指すのではなく、「嫌がらせゲームには参加しない」という道を選ぶしかない。そのためにはまず、嫌がらせをされても嫌がらない態度が必要だと思う。彼らは自分に、「嫌がる」ことを望んでいる。嫌がって見せたら思う壷だ。
もしそういう態度をとっていても、しつこく嫌がらせゲームに誘う人間がいたら、ゲームの会場から一度離れたほうがいい。嫌がらせゲームはある一定の地域で行われる。ゲームの会場から離れてしまった人間は、参加を強制されない。クラスが変わったり、違う学校に進学したりすると、いじめが止むのはそのためだ。
逆に言えば、ゲーム会場を離れるだけで嫌がらせゲームから降りることができる。物理的に場所を移動するだけでよいのだ。「新しい場所でも、同じようなゲームをやっているのではないか」という危惧はよく分かるけれど、それはその場所に行ってみなければ分からない。
たしかにそのゲームは、どの地域でも見られるほど一般的なものであるけれども、でも「どこへ行っても同じ」というほど似通っているわけじゃない。街においしいラーメン屋さんと美味しくないラーメン屋さんがあるように、場所によって違っている。だから思い切って、別の場所へ行ってみるのは良いことだ。新しい場所が駄目なら、また別のところへ行けばいい。美味しいラーメン屋さんは、どこかにちゃんと存在している。
たとえばさ…。子供って、つまらない駄洒落みたいな囃し言葉でからかったりするでしょ?
あの駄洒落って、「どこが面白いの?」というのが多い。
で、当の本人たちもそれのどこが面白いのか分かっていない。囃すほうも囃されるほうも。
囃すほうはただなんとなくやっていて、それに対して囃されるほうが「期待したリアクション」を取ることで満足する。
たとえばぼくは、あるとき「ふじさわ」と書いた名前の「さ」の字が×に見えるということで、「ふじぺけ!」、「ふじぺけ!]とからかわれたときがあった。
これに対して、いちいち怒ったり嫌がったりして抗議すると、囃し立てた人間たちはますますその嫌がらせを続けた。「なにが面白いねん」と冷めた目で見返すほうが、被害の拡大を防げたように思う。
いま思うに、彼らはたぶん、強い者と弱い者の構図が欲しいだけだったんじゃないかな。そして、誰かに嫌がらせをして相手が嫌がるところを見ることで、その構図を作り出そうとしていたような気がする。
だとしたら、嫌がらせをされたとき、嫌がって見せるのが一番マズい対応なんじゃないかな。だって彼らは、「嫌がらせをする側とされる側」という構図を作りたいだけだから。一度嫌がらせをされる側に回ってしまうと、なかなかその構図から抜け出せない。
彼らは、嫌がらせゲームという序列を作る。そしてそれぞれが、序列の下位にいる者を押さえこんで、自分の序列を維持しようとする。序列の下位に位置づけられると、自分が嫌がらせをされてしまうからだ。
嫌がらせやいじめが嫌いなら、その序列で上位を目指すのではなく、「嫌がらせゲームには参加しない」という道を選ぶしかない。そのためにはまず、嫌がらせをされても嫌がらない態度が必要だと思う。彼らは自分に、「嫌がる」ことを望んでいる。嫌がって見せたら思う壷だ。
もしそういう態度をとっていても、しつこく嫌がらせゲームに誘う人間がいたら、ゲームの会場から一度離れたほうがいい。嫌がらせゲームはある一定の地域で行われる。ゲームの会場から離れてしまった人間は、参加を強制されない。クラスが変わったり、違う学校に進学したりすると、いじめが止むのはそのためだ。
逆に言えば、ゲーム会場を離れるだけで嫌がらせゲームから降りることができる。物理的に場所を移動するだけでよいのだ。「新しい場所でも、同じようなゲームをやっているのではないか」という危惧はよく分かるけれど、それはその場所に行ってみなければ分からない。
たしかにそのゲームは、どの地域でも見られるほど一般的なものであるけれども、でも「どこへ行っても同じ」というほど似通っているわけじゃない。街においしいラーメン屋さんと美味しくないラーメン屋さんがあるように、場所によって違っている。だから思い切って、別の場所へ行ってみるのは良いことだ。新しい場所が駄目なら、また別のところへ行けばいい。美味しいラーメン屋さんは、どこかにちゃんと存在している。
Comment
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私のクラスでも今いじめがあります。と言っても仕返し?仕返しされてるのは、元このクラスのリーダー格の人。その人は約6年間いろいろな人の悪口を言ったり、人を抜かしてきた。本当は嫌いでもリーダー格の人の悪口は絶対にいえなかった。言ったら同じ仲間がちくると思ったから。私もいろいろ言われた。いきなり後ろにまわってきて髪を触られた。そこで「髪厚っ!」って。私の友達も「Rって息あらくない?」や、「Sの口のにおいくさっ」ミタイナ・・・数えきれないぐらい・・・がしかし今年になって立場が逆転し、k(リーダー格)がいじめられるようになった。
kにいびめられた9人グループができいっせいに攻撃を始めた。
それはひどいものだった。だって約6年間の恨みがこの1年間で反撃を始めたのだから・・・私たちはこの恨みをまだもっていた。
春から私たちは中学生なった。しかし小学校での噂は中学校まで広がり、kわいまでもいじめられている・・・・。
これを今見ていじめてる人・・・今すぐにいじめをやめなさい。
私の忠告を無視してまだいじめをする道を選ぶなら、あなたもいずれk
のよになってしまうから。
# コメントありがとうございます
今中学生なんですね。ぼくはもう中学生の時期をとっくに過ぎてしまったけど、あのころは、いじめられたり、数学のテストが全然できなかったり、つらい思い出がいっぱいです。(でも、いじめから守ってくれる友達もいたりして、うれしいこともたくさんありました。)
いじめって嫌ですね。いじめが無くなったらいいなと、ぼくも思います。でも、いじめって、なかなか無くならないんじゃないかなぁ、とも思います。というのはね。人間って弱い生き物だと最近思うからです。
いじめをする人って、たぶん弱いから、他の人をいじめちゃうんじゃないかなぁ。「自分は強いぞ」って、いつも威張ってないと、他の人からいじめられちゃう気がして、だからいつも、強いフリをしてるように思います。そう考えると、いじめている人たちもかわいそうな人間です。
そういう人たちは弱いから、なかなかいじめをやめられない。いじめをやめるのが怖いんですね。それは、「いじめをやめよう」って言うのに勇気がいるのと、同じ理屈なんだと思います。……難しい問題ですね。たぶん、解決しようと頑張っても、時間がかかると思います。あまり無理をしないでくださいね。
人間は弱いけど、強いところもあります。ぼくも、弱いところと強いところがあって、弱いところは嫌だなと思います。でもしょうがないとあきらめてるところもあって。ちょっとずつでも、強くなれればなと思います。
ええと、ごめんなさい。わけが分からないですね。いただいたコメントを読んで、そんなことを考えちゃいました。また気が向いたら、コメントでもメールでもよいので、お気軽にご意見くださいね。
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