メッセージ。 - 配慮と優しさ

# 配慮と優しさ

法務だけど理系女子の綴るblog: 「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント -「病院に行け」の怖さと、スルー力より議論力の重要性と、「優しさ」意味-

んー。いまあんまり物を考えられる状態じゃないのと、細切れにしか時間も取れないのだけど、興味深いテーマだなと思うので、目に入ってきたところについてちょいとメモ。

とりあえず気になるのは、『障害をもってるから配慮して欲しい』かな。障害を持っている人は、本当にこんなこと思うんだろうかという疑問が湧く。もし自分なら。……軽率なことは言えないけど、もし自分が障害を持っていたら、他人に対して「配慮してほしい」とは思わないような気がする。

障害を持っている自分に、変に気を使われたくない。他者から自分が、「普通でない、特別な障害のある人」として扱われたら、みじめに感じてしまう気がするから。「守ってあげなければ生きられない人」とか、「完全に足手まといの人」と思われたくない。単に障害も1つの個性として、ちょっと個性が強い普通の人間として対等に扱ってほしい。

あなたにも欠点があるけど、私にも欠点があるよ。その代わり、あなたにもいいところがあるし、私にもいいところがある。そういう風に思わなければ、苦しくってしょうがない。配慮なんてしてほしくない。ぼくは、ぼくの力を認めてほしい。ぼくにだってできることがある。それであなたたちの役に立ちたい。自分の力で、ここにいることを許されたい。個人的には、ぼくはそういう風に考えるほうです。

だからぼくは、同じように、女の人を「女だから」といって配慮はしない。配慮するということは、無条件にそれらの人たちを「弱者」であると認めることであり、それらの人たちの弱いところしか見ていないことになると思う。でも、そうじゃない。彼女らは弱くなんてない。弱いところもあり、強いところもある、トータルとしては男と同じ強さ、同じ心を持つ人間だと思っている。

だからぼくは、女の人に優しくなんてしない。そう決めている。「あなたが○○だから優しくしてあげる」なんて言われたら、ぼくは逃げる。そんな扱いをされるのは嫌だ。ぼくは○○じゃない。ぼくはあなたの○○じゃない。ぼくはぼくだ。ぼくのことはぼくが決める。優しくしてもらうかわりに、あなたの○○になるなんて嫌だ。○○であるかどうかは、ぼくが決める。ぼくがぼくのことを決める。「優しくしてあげる」なんて、そんなのは優しくなんてない。優しさのシンタックスを持った、別の何かだ。

んー。という感じで、ぼくはそんな風に、考えるんだけどなぁ。
2006-12-01 23:45:21 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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