メッセージ。 -

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ご意見ありがとうございます。興味深いです。えーと、すぐに結論が出せるような問題じゃないと思うので、じっくり考えてみたいですが、なんとなく、パッと何か言いたくなったところだけお返事をば。

 ・悪人が管理しようとするからといって、そこに正義がないとは言い切れない。

これがすごく興味深いです。問題は、「正義とは何か」だと思うんですよね。それが人によって違うのだろうし、違い方が興味深いなと。

  悪の行為が善の結果を生むこともあるし、その逆もある。
  (ただこれは、『動機の善悪』より『結果の善悪』を重視する立場なので、すべての方に同意いただけるとは思えない)

そうですね。「善意でやったんだからいいじゃないか」という意見には、ぼくは同意できません。でも一方で、「結果が善なんだからいいじゃないか」というのも、好きじゃないんです。

関連するか分からないですけど、過失の罪というのに、ぼくは前から疑問を持っていまして。たとえば、過失で他者に不都合を与えしまった場合、加害者はどれほどの罪を負わねばならないのか、とか。

「過失はNG」という価値観は分かるのですけど、一方で人はみな過失をします。過失は許されざるものなのかというと、そうではないと思うのですよね。未知の問題に挑戦したら、そこには必ず過失のリスクがある。あー思い付きで書きましたが、長くなりそうなので、また別の機会に書きます。

 ・「自ずとなる」のが理想。
  ただしそれは、「自ずとなるように管理した」結果かもしれない。
 ・人は善悪を含む者でしかないから、「法」や「理」をもって自らを含む世界を管理することにしたんじゃないかと。
  不完全な者たちが作る「法」「理」はやはり不完全な管理でしかないけど、それ以外のやり方よりは割とましな気がする。

そうですねぇ……。難しく興味深い問題です。ふと思うのですけど、「やり方」というのはまた、広義の管理だと思うのですよね。どちらもoperationですから。だから、比べるべきは、「完全なアナーキズムvs.管理する社会」と「それぞれの管理手法の利点と問題点」になるのかなーと。社会学では、こういうことを研究するのでしょうねぇ(遠い目)。
2006-12-02 13:28:45 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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