メッセージ。 - 「自己中」の話。

# 「自己中」の話。

ぼくは「自己中」という省略の仕方は、あんまり気にならないなぁ。携帯電話を「携帯」と呼ぶのには、抵抗があるけど。

どうして「自己中」が良くて、「携帯」は駄目なのか。つらつらと考えるに、どうもぼくは、関西的合理主義と、音感指向でそれを捉えようとしているからかなと思った。

まず、「携帯」の何が嫌って、「携帯○○」ってのがほかにもあるから嫌な感じがしちゃうんだよなぁ……。たとえば携帯傘とか、携帯灰皿とか。「携帯」という言葉そのものも、単体で扱ってよいほど意味が確立しているように感じる。

一方「自己中」は、存在が一人立ちしてる気がするんだよね。「ジコチュウ」っていう「すわ、外来語か?」というように可愛い音感だし、「自己中○○」みたいな類似の言葉もない。

「自己中」っていうのは、「あってもいいかな」という気がする。「自己中心的」って言葉は、よく使うわりに長くて言いにくいから。言いにくいところに、その言葉のニクニクシサが込められるのかもしれないけど、「そこを無理矢理可愛くして、笑い飛ばしてしまおう」というような言葉遣いが関西ではなされる。

実は関西人はけっこう合理主義で、この手の表現は多い。たとえば「マクドナルド」は、上と同じ理由で「マクド」だし、「ファミリーマート」は「ファミマ」。「サークルケー」は「サクケー」で、「びっくりドンキー」は「びくド」になる。

なんつーのかなぁ。関西人からすると、「携帯」も「マック」も、ちょっと乱暴な感じがする。一括りにできないような一般的な言葉を、固有のモノに対して適用するようなのは、あまり関西では好かれない。逆に関西では、そういった言葉の持つニュアンスや人の心のセグメントを、うまく使おうとするような精神がある気がするなぁ。

そういえば昔、「神奈川県が地元」という女友達がいた。彼女は「保土ヶ谷バイパス」という道路を指して、「ワタシたちはそれを『保土ヶ谷』と省略するけど」と言ってて、そのお馬鹿なニュアンスに笑いあったっけ。(「保土ヶ谷」というのは地名で、駅や区の名前になる程度に一般的な言葉です)
2006-12-08 13:01:56 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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