メッセージ。 - 電飾
# 電飾
最近は、クリスマスのイルミネーションにもたいして感動しないなぁ。なんつーか重みがないというか、どこでもやっているので、「このデパートは頑張ってるね」とか「センスがいいね」ぐらいにしか感じなくなってしまっている。宗教的な重みとかがあればいいのかなぁ。あるいはそこに意味とか物語性みたいなものがあってほしいかもしれない。
昔の人はなぜ、クリスマスのイルミネーションを欲したのだろう。なんとなくだけど、昔のそれはもっと珍しいものであったと思うし、誰でもができるレベルのコストでは実現していなかったように思う。数珠繋ぎにする電球を集めるだけでもお金がかかったし、それを綺麗に飾り付けるだけのノウハウやモチベーションもなかった。いや、そもそも、自宅をそんな風に飾り付けるという発想がなかった。
最近では、ルミナリエやらなんやら、いろんなところで電飾のイベントがある。ちょっと大きな列車の駅前は必ず綺麗な飾り付けがなされている。そういった状況の中で、何を感じていいか分からなくなっているように思う。電飾に飾り付けられたツリーも街並みも、綺麗だとは感じられない。表面上は綺麗だとしても、その裏にある経済合理性や惰性に裏打ちされた審美眼のようなものがあるのだと思ったら、心動かすことを躊躇われてしまう。
電飾のためのコストなんて現代では高が知れていて、しかも「それをやろう」という発想や思想性みたいなものが、あまりに安売りされてしまっているのではないか。希少であることが価値だとは言わない。ただ、本質的であるかどうかが知りたいのだ。なぜだかしらないが、本質的でないものに心動かされることを、ぼくはとても怖れている。その一方で、本質的でないものが抗いようのない波のように押し寄せている。
ハレとケの問題なのだろうか。電飾の街並みは、足跡と泥にまみれた雪の感じに近いかもしれない。それを単に嫌悪するつもりはない。いずれにせよ、足跡をつけねば我々は前に進めないのだから。ただなんとなく、なんとなく。
昔の人はなぜ、クリスマスのイルミネーションを欲したのだろう。なんとなくだけど、昔のそれはもっと珍しいものであったと思うし、誰でもができるレベルのコストでは実現していなかったように思う。数珠繋ぎにする電球を集めるだけでもお金がかかったし、それを綺麗に飾り付けるだけのノウハウやモチベーションもなかった。いや、そもそも、自宅をそんな風に飾り付けるという発想がなかった。
最近では、ルミナリエやらなんやら、いろんなところで電飾のイベントがある。ちょっと大きな列車の駅前は必ず綺麗な飾り付けがなされている。そういった状況の中で、何を感じていいか分からなくなっているように思う。電飾に飾り付けられたツリーも街並みも、綺麗だとは感じられない。表面上は綺麗だとしても、その裏にある経済合理性や惰性に裏打ちされた審美眼のようなものがあるのだと思ったら、心動かすことを躊躇われてしまう。
電飾のためのコストなんて現代では高が知れていて、しかも「それをやろう」という発想や思想性みたいなものが、あまりに安売りされてしまっているのではないか。希少であることが価値だとは言わない。ただ、本質的であるかどうかが知りたいのだ。なぜだかしらないが、本質的でないものに心動かされることを、ぼくはとても怖れている。その一方で、本質的でないものが抗いようのない波のように押し寄せている。
ハレとケの問題なのだろうか。電飾の街並みは、足跡と泥にまみれた雪の感じに近いかもしれない。それを単に嫌悪するつもりはない。いずれにせよ、足跡をつけねば我々は前に進めないのだから。ただなんとなく、なんとなく。
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