メッセージ。 -
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前回の記事にコメントさせて頂いた者です。
まず、私が要旨を読み取れなかったことをお詫びし、懇切丁寧な記事を書いて頂いたことを感謝致します。
思索しながらのコメントの為、口調が不遜な感になってしまうこと、ご容赦の程、宜しくお願い致します。
まず、技術の経済的価値の低下。
繊維業界は安い国外労働力・原価競争に押されて衰退の途にある。
但し、残りの分野で衰退が始まっているかと聞かれると、それは大いに疑問だ。自動車や家電は世界でシェアを争える立場を依然としてキープしている。(それも、私の知る限り20年という長期に及んで)
これらハードに付随するソフトウェアやコンテンツ。これらも国外と比較して遜色は無い。海外をターゲットに動いているメーカは数知れない。
過大評価する訳ではないが、国としての産業力を悲観せず分析した場合、日本は経済的に優れた国と評価できるのではないだろうか。
尚、未だに海外輸出の貿易摩擦は存在する。景気向上を謳い円安政策を目論む現在の日銀政策に海外の政治家は決して拍手を打ったりはしない。
また、外貨を獲得出来なければ食料自給率を上げるべきである、というのも(多少)短絡的に思える。加工貿易の影響で減反政策を推進したというのは、ある意味では事実だが、ある意味では正しくない。
貿易緩和政策によって海外から流入する食料に対抗するには余剰を減らすことで価値を一定に保たねばならなかったからだ。特定の食料生産が大幅に増加したとき、原価を保つ為に"廃棄する"理屈と同様であり、勿体無いと時折マスメディアは非難するが、そうしなければ国内生産者は経営を続けることが出来ないという厳然たる現実が、そこにはある。
また、江戸時代まで国内生産で自給を保っていたのは、裏を返せば競合が存在しなかったという単純な理由もある。
自給率を上げようと試みることは「海外から流入する食料輸入産業と裸一貫で喧嘩しろ」と(失礼ながら無策且つ蚊帳の外から)国内生産者に檄を飛ばしているようなものだ。国内各地で付加価値を付けることで必死に打開を図っている彼らにとって、これほど無責任な物言いは無い。
支出を減らす方法は様々だが、国外に無条件で資金と技術力をバラ撒く体質も要因のひとつであると(私個人は)考えている。長期的に見れば、それは収支を減らし、支出の肥大化を招くのは自明の理のように思えてしまう。(中には、どうしてもこれらの発言をキナ臭い方向に話を持って行きたがる御仁もいるが)
何にせよ、収支はセットで考える必要があり、これをしたから安泰になるという唯一つの方法というものは存在しないのではないだろうか?
日常と暮らしは確かに良い影響を及ぼす。
但し、実体験としては二十四時間それに打ち込んでいる者は、大抵の場合、更に良い結果を齎す。もっとも、限度というものはありますが。
研究や創造的な仕事に影響を及ぼす要素は幾つか存在するが、それには「他者や環境に阻害されない」というものが大きく関わってくる。例えばパーティションで作業場所を囲うことは、雇用者が被雇用者のプライバシ尊重というお題目の為に採用しているのではなく、被雇用者の生産力を向上させる効力が現実にあるために採用されている。
もちろん、職場を離れての散歩や子供との会話でアイデアが湧くことも多い。しかし、それらは四六時中「それを考えている」からであり、神懸り的にアイデアが浮かぶということは(少なくとも私には)殆どありません。
…というのが私の意見です。
意見に正しい・間違いというものはない、というのが私の持論です。敢えて反証意見を述べることもありますし、矛盾を抱えた意見を述べることもあります。様々な角度から物事を観察したい、という個人的なエゴでもあることは重々承知しております。
見苦しく、また独善的な意見の一つとして、頭の片隅に留め置いて頂ければ幸いです。
意見を述べる機会を与えて頂き、重ね、ありがとうございました。
まず、私が要旨を読み取れなかったことをお詫びし、懇切丁寧な記事を書いて頂いたことを感謝致します。
思索しながらのコメントの為、口調が不遜な感になってしまうこと、ご容赦の程、宜しくお願い致します。
まず、技術の経済的価値の低下。
繊維業界は安い国外労働力・原価競争に押されて衰退の途にある。
但し、残りの分野で衰退が始まっているかと聞かれると、それは大いに疑問だ。自動車や家電は世界でシェアを争える立場を依然としてキープしている。(それも、私の知る限り20年という長期に及んで)
これらハードに付随するソフトウェアやコンテンツ。これらも国外と比較して遜色は無い。海外をターゲットに動いているメーカは数知れない。
過大評価する訳ではないが、国としての産業力を悲観せず分析した場合、日本は経済的に優れた国と評価できるのではないだろうか。
尚、未だに海外輸出の貿易摩擦は存在する。景気向上を謳い円安政策を目論む現在の日銀政策に海外の政治家は決して拍手を打ったりはしない。
また、外貨を獲得出来なければ食料自給率を上げるべきである、というのも(多少)短絡的に思える。加工貿易の影響で減反政策を推進したというのは、ある意味では事実だが、ある意味では正しくない。
貿易緩和政策によって海外から流入する食料に対抗するには余剰を減らすことで価値を一定に保たねばならなかったからだ。特定の食料生産が大幅に増加したとき、原価を保つ為に"廃棄する"理屈と同様であり、勿体無いと時折マスメディアは非難するが、そうしなければ国内生産者は経営を続けることが出来ないという厳然たる現実が、そこにはある。
また、江戸時代まで国内生産で自給を保っていたのは、裏を返せば競合が存在しなかったという単純な理由もある。
自給率を上げようと試みることは「海外から流入する食料輸入産業と裸一貫で喧嘩しろ」と(失礼ながら無策且つ蚊帳の外から)国内生産者に檄を飛ばしているようなものだ。国内各地で付加価値を付けることで必死に打開を図っている彼らにとって、これほど無責任な物言いは無い。
支出を減らす方法は様々だが、国外に無条件で資金と技術力をバラ撒く体質も要因のひとつであると(私個人は)考えている。長期的に見れば、それは収支を減らし、支出の肥大化を招くのは自明の理のように思えてしまう。(中には、どうしてもこれらの発言をキナ臭い方向に話を持って行きたがる御仁もいるが)
何にせよ、収支はセットで考える必要があり、これをしたから安泰になるという唯一つの方法というものは存在しないのではないだろうか?
日常と暮らしは確かに良い影響を及ぼす。
但し、実体験としては二十四時間それに打ち込んでいる者は、大抵の場合、更に良い結果を齎す。もっとも、限度というものはありますが。
研究や創造的な仕事に影響を及ぼす要素は幾つか存在するが、それには「他者や環境に阻害されない」というものが大きく関わってくる。例えばパーティションで作業場所を囲うことは、雇用者が被雇用者のプライバシ尊重というお題目の為に採用しているのではなく、被雇用者の生産力を向上させる効力が現実にあるために採用されている。
もちろん、職場を離れての散歩や子供との会話でアイデアが湧くことも多い。しかし、それらは四六時中「それを考えている」からであり、神懸り的にアイデアが浮かぶということは(少なくとも私には)殆どありません。
…というのが私の意見です。
意見に正しい・間違いというものはない、というのが私の持論です。敢えて反証意見を述べることもありますし、矛盾を抱えた意見を述べることもあります。様々な角度から物事を観察したい、という個人的なエゴでもあることは重々承知しております。
見苦しく、また独善的な意見の一つとして、頭の片隅に留め置いて頂ければ幸いです。
意見を述べる機会を与えて頂き、重ね、ありがとうございました。
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