メッセージ。 - 組織機能の自律調和と人間について
# 組織機能の自律調和と人間について
asahi.com:キレる客対策、業界本腰 クラシック演奏会でトラブル急増 - 音楽 - 文化芸能
http://www.asahi.com/culture/music/TKY200703160235.html
これを読んでちょっと思ったこと。前から考えてて、うまく表現できないこともからめて。
東京の人は、こういう風に市民同士でトラブルになったとき、第三者(自分たち以外)に裁定を求めがちなように思う。しかも、このとき「第三者」になる権利があるのは、「その会の主催者」といったように「明確にその役割を与えられた者」になっている。市民どうしの諍いを、市民が仲裁することは求められていない。
たとえば電車の中では、車内で不信物を見つけた人は、車掌に知らせる以上の手段を持たないし、犯罪が起こったとき、事件の調査と犯人の逮捕を行うのはあくまで警察だ。ここまでは普通なんだけど、極端な例をあげると関東の人は、道端で苦しがっている人がいても「救急車に任せよう」と素通りする。
ここに挙げたどの例も、東京に限った話ではない。だけど、なんとなく関西やほかの地域はもっと緩い気がする。電車の車内に変なものを置いていく人がいたら、「おっちゃんなんか忘れ物やで」と声をかけるし、事件の被害にあった関西人は「犯人を自分で捕まえたい」と思う。道端で苦しがっている人を見つけたら喜んで助ける。通勤なんてそっちのけだ。(アメリカや外国にもこの傾向はあると思う)
東京の人々は、機能性に特化した組織をいくつも作り、そこが大量かつ迅速に仕事をするよう求める。組織どうしがそれぞれ歯車となり、全体としてうまく機能することを期待している。1つの歯車が動かないと全体に支障をきたすので、人々は動きの悪い歯車があるとピリピリ怒り出す。そして逆に、個々人としても高度な機能を提供するよう努力し、逆に自分に求められる機能以外の雑事には興味を持たない。問題が明確であったり、使えるリソースが潤沢であったり、組織が拡大基調であるようなよい状況では、これはうまく機能する。
歯車派の人たちは全体最適化を考えない。目の前にある歯車がきちんと動くことが重要なのであって、「状況が変わったからこの歯車はいらない」とか、「我々は目的地にちゃんと向かっているだろうか」とかは、また別の専門機関が考えるよう要求する。また、歯車は転用しにくい。歯車としてある問題を解くことに特化し、ほかの問題について考えてこなかったため、個々の歯車は別の問題に適用できない。逆に歯車自身もそのことを理解していて、「個々の問題」がなくなったり変わったりすると(自分が必要とされなくなって)困ると思っている。
http://www.asahi.com/culture/music/TKY200703160235.html
「携帯電話のアクセサリーがうるさい」。昨年、都内の大ホールで、30代とおぼしき男性が若い女性の服をひっぱり、ロビーに引きずり出した。仲裁に入った主催者がその携帯を見せてもらうと、ちいさな鈴がひとつついていただけ——。演奏会の主催者によるとこうしたトラブルが目立ってきたのは半年ほど前から。きっかけになるのは演奏会のチラシの束やパンフレットをめくる音、せきばらいや呼吸音、体臭などなど。休憩時間に「迷惑だから退場させろ」と主催者に詰め寄ったり、終演後に口論を始めたりする人が増えたという。激高している客は、落ち着かせるためまず別室へ、との原則は、今や多くの主催者にとって常識になった。
これを読んでちょっと思ったこと。前から考えてて、うまく表現できないこともからめて。
東京の人は、こういう風に市民同士でトラブルになったとき、第三者(自分たち以外)に裁定を求めがちなように思う。しかも、このとき「第三者」になる権利があるのは、「その会の主催者」といったように「明確にその役割を与えられた者」になっている。市民どうしの諍いを、市民が仲裁することは求められていない。
たとえば電車の中では、車内で不信物を見つけた人は、車掌に知らせる以上の手段を持たないし、犯罪が起こったとき、事件の調査と犯人の逮捕を行うのはあくまで警察だ。ここまでは普通なんだけど、極端な例をあげると関東の人は、道端で苦しがっている人がいても「救急車に任せよう」と素通りする。
ここに挙げたどの例も、東京に限った話ではない。だけど、なんとなく関西やほかの地域はもっと緩い気がする。電車の車内に変なものを置いていく人がいたら、「おっちゃんなんか忘れ物やで」と声をかけるし、事件の被害にあった関西人は「犯人を自分で捕まえたい」と思う。道端で苦しがっている人を見つけたら喜んで助ける。通勤なんてそっちのけだ。(アメリカや外国にもこの傾向はあると思う)
東京の人々は、機能性に特化した組織をいくつも作り、そこが大量かつ迅速に仕事をするよう求める。組織どうしがそれぞれ歯車となり、全体としてうまく機能することを期待している。1つの歯車が動かないと全体に支障をきたすので、人々は動きの悪い歯車があるとピリピリ怒り出す。そして逆に、個々人としても高度な機能を提供するよう努力し、逆に自分に求められる機能以外の雑事には興味を持たない。問題が明確であったり、使えるリソースが潤沢であったり、組織が拡大基調であるようなよい状況では、これはうまく機能する。
歯車派の人たちは全体最適化を考えない。目の前にある歯車がきちんと動くことが重要なのであって、「状況が変わったからこの歯車はいらない」とか、「我々は目的地にちゃんと向かっているだろうか」とかは、また別の専門機関が考えるよう要求する。また、歯車は転用しにくい。歯車としてある問題を解くことに特化し、ほかの問題について考えてこなかったため、個々の歯車は別の問題に適用できない。逆に歯車自身もそのことを理解していて、「個々の問題」がなくなったり変わったりすると(自分が必要とされなくなって)困ると思っている。
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