メッセージ。 - うーん、USで「差別...
# うーん、USで「差別...
うーん、USで「差別」(discrimination) が問題とされる時って、重要なのは後半の「不利益、不平等」なんですよ。個人がどんな価値観を持っていようが、偏見によって人を嫌おうが、それは自由。また、誰かの偏見によって自分が嫌われようが、無視されて不快に思おうが、暴言で傷つこうが、個人の感情に留まる限りにおいてはあくまで個人間で処理すべき問題と考えられます (差別側が職場の他の同僚を煽動して特定個人が居づらい環境を作った、という場合は(敵対的職場環境って言ったかな)不利益が生じたとみなされますが)。
一方で、当事者に「全くそのつもりが無く」ても、客観的に見て、他の全ての条件が同じなのに人種・男女・etc。で待遇に差がついている場合は問題になります。被差別側がたとえ気にしていないとしても問題になり得ます(被差別側が「そういうもんだ」と思い込んでしまっている場合とか)。先入観や偏見から逃れられないのは人間として当然だけれど、社会的人間としては、それのみを根拠に人を不平等に扱わないだけの分別を持っていることを期待されるわけです。(そのため、例えば会社の募集要項には、合理的な理由が無い限り、年齢、性別、人種、国籍などの制限事項を一切書けません。応募側も履歴書にもそんなこと書かないし。面接で訊かれることもほとんどありません←訊くこと自体は合法だけど、それを根拠に落とされたと疑われると厄介なので、普通は避ける)。
日本での差別に関する議論は逆に、当事者の気持ちの問題が先に来がちな印象があり、どうも落ち着きが悪いです。価値観の違う人同士が居れば、何を言ったって傷つく人はいるわけで、そんなことは議論するまでもないと思うんですが。
一方で、当事者に「全くそのつもりが無く」ても、客観的に見て、他の全ての条件が同じなのに人種・男女・etc。で待遇に差がついている場合は問題になります。被差別側がたとえ気にしていないとしても問題になり得ます(被差別側が「そういうもんだ」と思い込んでしまっている場合とか)。先入観や偏見から逃れられないのは人間として当然だけれど、社会的人間としては、それのみを根拠に人を不平等に扱わないだけの分別を持っていることを期待されるわけです。(そのため、例えば会社の募集要項には、合理的な理由が無い限り、年齢、性別、人種、国籍などの制限事項を一切書けません。応募側も履歴書にもそんなこと書かないし。面接で訊かれることもほとんどありません←訊くこと自体は合法だけど、それを根拠に落とされたと疑われると厄介なので、普通は避ける)。
日本での差別に関する議論は逆に、当事者の気持ちの問題が先に来がちな印象があり、どうも落ち着きが悪いです。価値観の違う人同士が居れば、何を言ったって傷つく人はいるわけで、そんなことは議論するまでもないと思うんですが。
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