メッセージ。 - 手段が目的になる話、媒体主義
# 手段が目的になる話、媒体主義
たとえば10年前の雑誌を開いてみる。「なんて簡単なことが書いてあるんだろう」とびっくりする。
雑誌が古くなると、どんどんどんどん難しいことばかり書くようになる。
読者も古くなると、もっともっとと難しいことを要求するようになる。
それが雑誌の、一般的な老化だ。
毎日、毎月、雑誌を読んでいる人は、その老化に気付かないし、雑誌を作っているほうも気付かない。
「この話題は以前扱った」という理由で、どんどんどんどん、マニアックな方向へ進む。
ある意味これは、「熱心な読者の期待に応えよう」という誠意なんだと思う。
編集者が老化に気付いたとしても、もう遅い。
「記事の質を保つ」という命題があるので彼らは方向転換できないし、
もし方向転換できたとしても、読者は彼らを見捨ててまっすぐ進み続ける。
雑誌だけでなく、いろんなメディア、いろんな文化で同じ現象が見られる。媒体主義だ。
人間というのは、昨日を重く見すぎる。「昨日は西から東へ向かって歩いた。今日も東へ向かおう」。
そうやって人間は、砂漠を東へ東へ横切っていく。当初行きたかったオアシスのことを忘れて。
人間は、「東へ向かう」という媒体を愛してしまう。それを止めるのは、不可能に近い。
ネズミの群れがこぞって川へ飛び込むのを「馬鹿なやつらだ」と吐き捨てるのは簡単で、
「どうやったら止められるだろう?」と考えるのは難しい。チャレンジングな問題だ。
媒体から目をそらすというのは、真に難しい。生き物であり、主体であるがゆえの問題。
それはすばらしくもあり、愚かしくもある。
雑誌が古くなると、どんどんどんどん難しいことばかり書くようになる。
読者も古くなると、もっともっとと難しいことを要求するようになる。
それが雑誌の、一般的な老化だ。
毎日、毎月、雑誌を読んでいる人は、その老化に気付かないし、雑誌を作っているほうも気付かない。
「この話題は以前扱った」という理由で、どんどんどんどん、マニアックな方向へ進む。
ある意味これは、「熱心な読者の期待に応えよう」という誠意なんだと思う。
編集者が老化に気付いたとしても、もう遅い。
「記事の質を保つ」という命題があるので彼らは方向転換できないし、
もし方向転換できたとしても、読者は彼らを見捨ててまっすぐ進み続ける。
雑誌だけでなく、いろんなメディア、いろんな文化で同じ現象が見られる。媒体主義だ。
人間というのは、昨日を重く見すぎる。「昨日は西から東へ向かって歩いた。今日も東へ向かおう」。
そうやって人間は、砂漠を東へ東へ横切っていく。当初行きたかったオアシスのことを忘れて。
人間は、「東へ向かう」という媒体を愛してしまう。それを止めるのは、不可能に近い。
ネズミの群れがこぞって川へ飛び込むのを「馬鹿なやつらだ」と吐き捨てるのは簡単で、
「どうやったら止められるだろう?」と考えるのは難しい。チャレンジングな問題だ。
媒体から目をそらすというのは、真に難しい。生き物であり、主体であるがゆえの問題。
それはすばらしくもあり、愚かしくもある。
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