メッセージ。 - 難しさの内面

# 難しさの内面

そういえば、数学がチンプンカンプンだったころ、あるいはコンピュータがさっぱり理解できなかったころ、
たしかにそこには「数学やコンピュータが分からない」という現象も発生していたけれども、
もっと言えば「数学やコンピュータの現在の実装を、どう面白がればよいか分からない」、
「誰がなぜ、そういう実装にしたのか分からない」ことのほうが根源的な問題としてあったように思う。

そして実際、そういうことを説明できる人や状況は、現在レアになっているんじゃないだろうか。
つまり、師弟のあいだでラポール(信頼関係)があまり構築できていないし、
教えるほうもそれ(たとえば数学やコンピュータ)を面白がることができていない場合が
多いような気がする。

たとえば今、「近所に住んでいる人や子供、学校の同級生、会社の同僚に、
あなたの知的興奮を伝えてみてください」って言われたらどうだろうか?
(ここでの「伝える」というのは、自分の中にそういう現象があるよって説明するのではなく、
彼や彼女が同程度の知的興奮を、内から湧き出させることができるようにするという意味)

「そんなの難しいよ」とか、「そんなの恥ずかしいし、やりたくないよ」って
答えてしまうんじゃないかな。みんなが「難しい」と言っていることの本質は、
そこにあるんじゃないかと思ってる。
2007-05-24 10:05:29 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

Comment

コメント投稿機能は無効化されています。

Trackback

TrackBack投稿機能は無効化されています。