メッセージ。 - shiroさん、あろ...
# shiroさん、あろ...
shiroさん、あろはさん、コメントありがとうございます。
ぼくも、shiroさんの意見(1つ目のパラグラフ)にほとんど同意(解釈としてはたぶん同じ)なんですが、そこから受ける感覚が違うんですよね……。
んー。あろはさんが書かれているように(shiroさんも同意してもらえると思いますが)、数学とか科学って、「こう考えればいろいろうまくいく」体系を作ることが目的(目的というか唯一の方法論というか)なんですよね。でも、それってゲーデルが不完全性定理を発見して、初めて明らかになったことだと思うんです。
あ、ちょっと脱線ですが、上記文章からはじまるスレッドでぼくがゲーデルの不完全性定理として挙げて根拠としているのは、 不完全性定理 - 哲学的な何か、あと科学とか にある
それで、数学とか科学の目的が「こう考えればいろいろうまくいく」体系を作ることだって分かっている生徒や人なら、「0.999...=1だ」って言われたとき、「ほかの数学定理と無矛盾であることが検証されてるならいいや」と思えるというのは、ぼくも分かります。
でも、「こう考えればいろいろうまくいく」体系を作るという目的を知らない人って多いと思うんです。「直感的には」、数学とか科学というのは、そういう体系だと理解されないはず、と。つまり、上記Webページで
とあるように、「数学理論には矛盾は一切無く、どんな問題でも真偽の判定が可能である」だろうと、天才も凡才も直感的に考えてしまいます。でも実際には、ヒルベルトも多くの数学者・科学者も間違ってて、科学会にはゲーデル的転回が必要だったわけですよね。
「0.999...=1って本当なんだろうか?」と考える人は、まさに自分の力で(本を読んで不完全性定理を知るのではなく)その転回に至ろうとしています。それは、すごく価値のあることだと思うんです。まさしくそういうアプローチこそが、数学や科学を発展させるだろうと。
shiroさんがおっしゃるように、「0.999...=1」ってのはいまの数学体系における実装上のチョイスにすぎませんよね。つまり、ほかの「0.999...≠1」という実装もありうる。ただその実装をチョイスした場合は、「0.999...≠1」と無矛盾になるように、まわりの数学理論も修正しなければいけないでしょうけど。
……「まわりの数学理論も修正しなければいけない」と書きましたけど。逆に言うと、「まわりの数学理論も修正すればいいだけ」という立場もあり得る。結果として、どちらの実装(体系)が、必要とする公理を少なくできるかが科学的立場としては重要なはず。あと、問題領域によっては、「0.999...≠1」を含む実装のほうが適している可能性がある。だから、「0.999...≠1」というのも考える余地がありますよね。
その事実に、人間って気付いているのかな? なかなか気付けないことも多いから気を付けたいですね、という感じでした。
ぼくも、shiroさんの意見(1つ目のパラグラフ)にほとんど同意(解釈としてはたぶん同じ)なんですが、そこから受ける感覚が違うんですよね……。
んー。あろはさんが書かれているように(shiroさんも同意してもらえると思いますが)、数学とか科学って、「こう考えればいろいろうまくいく」体系を作ることが目的(目的というか唯一の方法論というか)なんですよね。でも、それってゲーデルが不完全性定理を発見して、初めて明らかになったことだと思うんです。
あ、ちょっと脱線ですが、上記文章からはじまるスレッドでぼくがゲーデルの不完全性定理として挙げて根拠としているのは、 不完全性定理 - 哲学的な何か、あと科学とか にある
という解釈です(ぼくは厳密に数学的に理解しているわけじゃないので、解釈が間違っているのかもしれないですが)。第2不完全性原理「ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない」
それで、数学とか科学の目的が「こう考えればいろいろうまくいく」体系を作ることだって分かっている生徒や人なら、「0.999...=1だ」って言われたとき、「ほかの数学定理と無矛盾であることが検証されてるならいいや」と思えるというのは、ぼくも分かります。
でも、「こう考えればいろいろうまくいく」体系を作るという目的を知らない人って多いと思うんです。「直感的には」、数学とか科学というのは、そういう体系だと理解されないはず、と。つまり、上記Webページで
数学界の巨匠ヒルベルトは「数学理論には矛盾は一切無く、どんな問題でも真偽の判定が可能であること」を完全に証明しようと、全数学者に一致協力するように呼びかけた。
とあるように、「数学理論には矛盾は一切無く、どんな問題でも真偽の判定が可能である」だろうと、天才も凡才も直感的に考えてしまいます。でも実際には、ヒルベルトも多くの数学者・科学者も間違ってて、科学会にはゲーデル的転回が必要だったわけですよね。
「0.999...=1って本当なんだろうか?」と考える人は、まさに自分の力で(本を読んで不完全性定理を知るのではなく)その転回に至ろうとしています。それは、すごく価値のあることだと思うんです。まさしくそういうアプローチこそが、数学や科学を発展させるだろうと。
shiroさんがおっしゃるように、「0.999...=1」ってのはいまの数学体系における実装上のチョイスにすぎませんよね。つまり、ほかの「0.999...≠1」という実装もありうる。ただその実装をチョイスした場合は、「0.999...≠1」と無矛盾になるように、まわりの数学理論も修正しなければいけないでしょうけど。
……「まわりの数学理論も修正しなければいけない」と書きましたけど。逆に言うと、「まわりの数学理論も修正すればいいだけ」という立場もあり得る。結果として、どちらの実装(体系)が、必要とする公理を少なくできるかが科学的立場としては重要なはず。あと、問題領域によっては、「0.999...≠1」を含む実装のほうが適している可能性がある。だから、「0.999...≠1」というのも考える余地がありますよね。
その事実に、人間って気付いているのかな? なかなか気付けないことも多いから気を付けたいですね、という感じでした。
Comment
Trackback