メッセージ。 -
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ああ、ふじさわさんのそのコメントの方がわかりやすいなあ。そう、まわりの数学理論も修正すれば(出来れば)問題ないでしょう。普通に「0.999... = 1」って命題をぽんと出されたら、デフォルトで「普通の数学」を仮定するでしょうから、普通じゃない体系を持ち出すなら持ち出す方が最初に定義を示さないとすれ違いになるでしょうが。
確かに、偉大な仕事が、後から振り返って、それまで普通に信じられていたことに対するちょっとした疑問から始まっているということはよくある (というより、ほとんどそうだと思う) し、そういう逸話をよく耳にする。けれども、そういうちょっとした疑問が全て偉大な仕事に結び付く可能性があるかというとそんなことはなくて。(a)子供のように、白紙の状態でなんとなく疑問を持つことと、(b)ちゃんとその理屈が意味することをわかっててなおその帰結に疑問を持つこと、それから(c)ナイーブな常識に囚われていてそれと違う理論的帰結に対して疑問を持つこと、これらは別だと思うんですよね。それを「気付き重要」でいっしょくたにしてしまうのはまずいと思う。
(a)はふじさわさんが言うように、より大きな体系へと興味をもたせる重要なきっかけになる。(b)は偉大な仕事へとつながる可能性がある。でも(c)は…本人が、囚われているナイーブな常識に対する自覚を持たない限り、建設的な結果は産まないと思うんですよね。
うーん、要するに、「これがこうなるのはおかしい」と思ったら、(a)自分の知識が足りてないか(b)体系に拡張の余地があるか(c)自分の視野が狭いか、それをちゃんと考えようってことになるのかなぁ。と勝手にまとめてしまいますが。
確かに、偉大な仕事が、後から振り返って、それまで普通に信じられていたことに対するちょっとした疑問から始まっているということはよくある (というより、ほとんどそうだと思う) し、そういう逸話をよく耳にする。けれども、そういうちょっとした疑問が全て偉大な仕事に結び付く可能性があるかというとそんなことはなくて。(a)子供のように、白紙の状態でなんとなく疑問を持つことと、(b)ちゃんとその理屈が意味することをわかっててなおその帰結に疑問を持つこと、それから(c)ナイーブな常識に囚われていてそれと違う理論的帰結に対して疑問を持つこと、これらは別だと思うんですよね。それを「気付き重要」でいっしょくたにしてしまうのはまずいと思う。
(a)はふじさわさんが言うように、より大きな体系へと興味をもたせる重要なきっかけになる。(b)は偉大な仕事へとつながる可能性がある。でも(c)は…本人が、囚われているナイーブな常識に対する自覚を持たない限り、建設的な結果は産まないと思うんですよね。
うーん、要するに、「これがこうなるのはおかしい」と思ったら、(a)自分の知識が足りてないか(b)体系に拡張の余地があるか(c)自分の視野が狭いか、それをちゃんと考えようってことになるのかなぁ。と勝手にまとめてしまいますが。
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