メッセージ。 - なんとなく、セクハラと社会について
# なんとなく、セクハラと社会について
*minx* [macska dot org in exile] - セクシュアルハラスメントの動機は性的興味ではない、という話
http://d.hatena.ne.jp/macska/20070521/p1
よく理解できなかったんだけど、興味深い内容だと思った。というか、タイトルに同感。
で、なんとなく感じたこと。結局のところ、セクハラというのは、弱者探しなんじゃないか? だいたいセクハラをする人間のイメージとしては、「(性的に、ではなく)社会的に歪んだ欲望の持ち主」を想像してしまうけれども、この想像を是と仮定してもう一歩進めてみる。「なぜ、セクハラの加害者は、社会的に歪んだ欲望を持つのか、その結果どのように振る舞うのか?」
まったくの想像と言っていい範疇に踏み込むのだけど(ぶじさわの書くものはいつもそうだけど)、セクハラの加害者は、きっと、「社会的弱者」だ。彼らは自ら、自分達が社会的弱者であると感じており、そのことに不満を持っている。ぼくはいつも、サルの集団生活を映す動物ドキュメンタリーを見ると、ボスザル以外の大人のオスザル(あるいはメスザル)達が、どんな気持ちでいるか想像するのだけど、それに似たものを感じる。
つまり、社会的弱者の地位にいる者は、その境遇に不満を感じ、なんとか改善したいと考える。彼らの不満の対象は、直接的には上位のサルであるべきだが、現実的には、憎悪は社会に向けられる。「どうして『自分』が『社会』において『弱者』なのか」と。「この社会が悪い、こんな社会は潰してしまえ」と。
しかし現実には、社会を潰すのは難しく、それを実現するということは、上位のサルより上位に立つ能力が必要だ。そこで彼らは、社会と正面から対峙するのを避ける。ゲリラ的に、あるいは刹那的に、反社会的行動を(人目に触れない場所で)行う。彼らの目的は、社会への「仕返し」だ。
一方で、どうして彼ら、たとえばセクハラをする男や痴漢らは、「女らしい女」を標的にしないのか。もし彼らが、自らの社会的弱者的境遇に鬱屈を感じているのなら、「女らしくない女」は同様に社会的弱者であるか、どちらかと言えば社会的正義に反目する存在、「味方」だと言える。「女らしい女」はまさに社会的強者であり、彼女らこそが敵だ。なぜ彼らは、敵を攻撃せずに味方を攻撃するのか。
たぶんだけれど。たぶん彼らは、「女らしい女」たちが、自分より強いことを知っている。彼女らは、社会的強者であって、弱者である自分たちでは歯が立たない。「女らしい女」を、(とくにたくさんの人がいる場所で)攻めるというのは、社会に対して正面から立ち向かうことなので、彼らはそれを選ばない。要するに、彼らが求めているのは、はけ口なのではないか。
……セクハラというよりは、痴漢のイメージを頭の中に入れて書いちゃったっぽい。
http://d.hatena.ne.jp/macska/20070521/p1
よく理解できなかったんだけど、興味深い内容だと思った。というか、タイトルに同感。
で、なんとなく感じたこと。結局のところ、セクハラというのは、弱者探しなんじゃないか? だいたいセクハラをする人間のイメージとしては、「(性的に、ではなく)社会的に歪んだ欲望の持ち主」を想像してしまうけれども、この想像を是と仮定してもう一歩進めてみる。「なぜ、セクハラの加害者は、社会的に歪んだ欲望を持つのか、その結果どのように振る舞うのか?」
まったくの想像と言っていい範疇に踏み込むのだけど(ぶじさわの書くものはいつもそうだけど)、セクハラの加害者は、きっと、「社会的弱者」だ。彼らは自ら、自分達が社会的弱者であると感じており、そのことに不満を持っている。ぼくはいつも、サルの集団生活を映す動物ドキュメンタリーを見ると、ボスザル以外の大人のオスザル(あるいはメスザル)達が、どんな気持ちでいるか想像するのだけど、それに似たものを感じる。
つまり、社会的弱者の地位にいる者は、その境遇に不満を感じ、なんとか改善したいと考える。彼らの不満の対象は、直接的には上位のサルであるべきだが、現実的には、憎悪は社会に向けられる。「どうして『自分』が『社会』において『弱者』なのか」と。「この社会が悪い、こんな社会は潰してしまえ」と。
しかし現実には、社会を潰すのは難しく、それを実現するということは、上位のサルより上位に立つ能力が必要だ。そこで彼らは、社会と正面から対峙するのを避ける。ゲリラ的に、あるいは刹那的に、反社会的行動を(人目に触れない場所で)行う。彼らの目的は、社会への「仕返し」だ。
一方で、どうして彼ら、たとえばセクハラをする男や痴漢らは、「女らしい女」を標的にしないのか。もし彼らが、自らの社会的弱者的境遇に鬱屈を感じているのなら、「女らしくない女」は同様に社会的弱者であるか、どちらかと言えば社会的正義に反目する存在、「味方」だと言える。「女らしい女」はまさに社会的強者であり、彼女らこそが敵だ。なぜ彼らは、敵を攻撃せずに味方を攻撃するのか。
たぶんだけれど。たぶん彼らは、「女らしい女」たちが、自分より強いことを知っている。彼女らは、社会的強者であって、弱者である自分たちでは歯が立たない。「女らしい女」を、(とくにたくさんの人がいる場所で)攻めるというのは、社会に対して正面から立ち向かうことなので、彼らはそれを選ばない。要するに、彼らが求めているのは、はけ口なのではないか。
……セクハラというよりは、痴漢のイメージを頭の中に入れて書いちゃったっぽい。
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