メッセージ。 - 生きているから間違う

# 生きているから間違う

あー、そう。自分って、矛盾してるよね。それを認めることは大事だと思う。

ぼくも、日によって書くことが違うし、昔書いたのを見て「何言ってるか分からない」と
自分でも思う。もちろん、互いに矛盾した事柄をいっぱい書いてる。

でも、それでもいいと思ってる。矛盾した事柄でも、そのときそう書こうと
思ったのは事実で。いや、もっとちゃんと言うなら、それこそが事実だ。

前に書いたことや、前に感じたことと整合性を取ろうとして、文章や自分の感情や論理を
調整したとしたら、真実から遠ざかってしまうような気がする。

調整して過去の自分や「正しさ」をフィードバックしてしまう前に、「なぜ、今、そう感じたのか?
そう考えたのか?」を確認したい。そのほうが、自分とはいったい何なのか?に近付ける気がする。

間違ったものを、間違ったまま置いておくのが好き。どうせ自分は間違ってるし、
矛盾しているもん。汚いところがあるし、馬鹿なこともやってしまうし、罪を犯す。

でもね。だからこそ、誰かほかの人の汚いところや馬鹿なことを許せるんじゃないかな。
自分は間違うのだから、ほかの人が間違ってもお互いさま。
誰かに傷つけられてもお互いさま。

そう考えると、間違ったり、傷付けあったりするのは悪いことじゃないと思える。
「ああ、自分以外にも生きている人がいるんだな」と感じられるから。

「自分だけが生きている」とか、「誰も生きていない」って状態よりはいい。
生きているから、遊ぶことができる。でもそのかわり、間違う。
だったら、間違ってもいいから、生きているほうがいい。

間違うことは問題じゃない。
問題が存在することは問題じゃない。
どう間違うか、間違ってどうするかが問題なんだと思う。

デカルトは、「我思う、故に我あり」と言った。
率直に言って、ぼくはこれは間違っていると思う。
でも、間違っているからこそいいとも思う。
彼は、生きていたんだなぁと思わせるし、人間らしさを感じる。
2007-08-08 07:46:06 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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