メッセージ。 - 親という字は

# 親という字は

いいですか? 親という字は、「木の上に立って子供を見る人」と書くんです。

なんで木の上に立つかというと、子供が心配だから。心配で心配で仕方なくて、木の上に登って、子供が無事にやってるか見ようとせずにはいられない。それが親というものです。

でも当然ながら、木に登っても、子供のすべてを見届けることはできない。あらゆる行く手に着いていって、子供を守ることはできない。

親が子供にできることは、彼や彼女が自分たちで生きていけるよう、大事なものを手渡すことだけです。そしてそのあとは、祈るしかできない。木の上に登って、彼や彼女の行く末を祈る。それが、あなたがなすべきことです。

だからぼくは問います。あなたは、彼や彼女に、もう大事なものを手渡せましたか? 彼や彼女のことを、毎日祈っていますか? 彼や彼女を悪から遮断することは、大事なことではないと思います。彼や彼女が、自ら悪と戦える力を手渡せなければ、あなたのやっていることには意味がない。

それは何も、難しいことではありません。親の背中を見て、子供はちゃんと育つのだから。「背中で何かを語れるような立派な人間じゃない」、あなたはそう言うかもしれません。でも、立派じゃなくていいんです。立派じゃなくても、あなたはあなただ。それでいい。それで十分、子供には救いになる。そういうものです。

だからね。単に彼らを、悪から遮断しなさんな。単に悪を憎みなさるな。あなたがなぜそれを遮断するのか、それを憎むのか、子供が理解しなければ、役には立たないのだから。彼らをさして「あれをするな」と言うのではなく、こういってはどうでしょう? 「あれをしないでくれるとうれしい」と。それこそが祈りであり、この世の救いだと、ぼくは思います。
2007-08-23 00:47:07 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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