メッセージ。 - 日々
# 日々
えーっと。朝起きて、歯を磨きながら、昨夜の文章はちょっと恥ずかしかったかなと反省。
いい歳をしたキモオタが、あれはないだろうと。「大好きでござる☆」ぐらいにすべきでした。しゅいましぇん。
でだ。まぁそれはいいとして、明示的という言葉があるかというのは、次の文章からインスパイアされてます。
ホワット・ア・ワンダフル・ワールド auto 変数と明示的に書きたい (解決編)
http://alohakun.blog7.fc2.com/blog-entry-828.html
ここでのギロンはちょっと特殊というか、mixiなんかで有名なvoid Kusakabeさんの言葉に端を発してるんですよねー。
なので、モヒカンどうしの独特のたたかいというか、子供どうしが口げんかしてるような、素敵な感じになっているかなーと思います。「お母ちゃんが、明示的って言葉はあるって言ってたもん」、「いつ言ってたんだよ! 何時何分何秒!?」、「うえーん」みたいな。
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個人的には、今回のように、「ある言葉があるか、ないか」みたいな問題って、いろんなところで見られると思ってて。その原因は、モノゴトを「あるかないか」みたいに白黒付けようとする(白黒奪いあおうとする)ところに、本質があるんじゃないかなと思います。
たとえば、「おれはオタクじゃない。マニアだ」と言う人がいるなら、「そうなのかぁ。本人がそう言うならそうかもしれないね」って、認めてあげればいいんじゃないかな。だって、その本人が自分の中でそう思っているだけなら、ほかの人にとって害はないもの。「いや、お前は確かにオタクだ。オタクだオタクだオタクだ」って、言う必要ある?
「我思う、故に我あり」って言ってる人に対して、追い掛けていって、肩をつかんで振り向かせて、「そんなことない。お前は存在しないかもしれない」なんて言う必要ある? 放っておいてあげようよ。(まぁデカルトの場合は、そのことをギロンしようという道を自ら選んだ人だろうから、「それでも」とギロンをしかける余地はあるのだけど)
誰かが「ある」と言うなら、「そっか。そこからは、それが見えるんだ。あると感じられるんだ」と認めてあげる。そのことについては、云々しない。でね、問題はその後。それが「ある」ということを、「ほかのすべての人が受け容れる必要はない」。つまり、「彼の世界にはそれはある(あるのかもしれない、あるのだろう)」ということと、「でも自分にはそれは見えない。ないように思う。自分の世界にはそれはない」というのは、両立しうる。
自分のいる場所から見えるものが、違う場所にいるほかの人からは、見えないかもしれない。そのとき、それは「ある」のか、「ない」のか。
それを、大真面目に議論するというのも、1つの人生の楽しみだ。余暇として楽しむ分にはいい。でもまぁ、「どっちでもいい」という態度もありだ。言葉が「成立」しているかどうかなんて、どうでもいいじゃない。目くじら立てて、それが成立しているかどうか決めなくてもいいと思う。
結局のところ、ある言葉や観念が、あるのかないのかは検証できないんだし、あってもなくても、明日はたぶんやってくる。もうさ、明日がやってくるんだから、いいじゃん。それが、それこそが大事じゃん。彼や彼女のいる場所からは、自分には見えないものが見える。あるいはその逆で、ほかの人には見えないものが、自分には見える。それって、けっこう、切なくて素敵なものだと思います。
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そういうようなことを分かってくれる人がたまにいて、楽しいなって思います。そういう人と遊ぶのが好き。
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昨日の朝書いて、送信しきれなくて、一日ごちゃごちゃ書き直してたら、わけが分からなくなってしまった。まただいぶ変なことを書いてる気がするなぁ。
いい歳をしたキモオタが、あれはないだろうと。「大好きでござる☆」ぐらいにすべきでした。しゅいましぇん。
でだ。まぁそれはいいとして、明示的という言葉があるかというのは、次の文章からインスパイアされてます。
ホワット・ア・ワンダフル・ワールド auto 変数と明示的に書きたい (解決編)
http://alohakun.blog7.fc2.com/blog-entry-828.html
ここでのギロンはちょっと特殊というか、mixiなんかで有名なvoid Kusakabeさんの言葉に端を発してるんですよねー。
なので、モヒカンどうしの独特のたたかいというか、子供どうしが口げんかしてるような、素敵な感じになっているかなーと思います。「お母ちゃんが、明示的って言葉はあるって言ってたもん」、「いつ言ってたんだよ! 何時何分何秒!?」、「うえーん」みたいな。
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個人的には、今回のように、「ある言葉があるか、ないか」みたいな問題って、いろんなところで見られると思ってて。その原因は、モノゴトを「あるかないか」みたいに白黒付けようとする(白黒奪いあおうとする)ところに、本質があるんじゃないかなと思います。
たとえば、「おれはオタクじゃない。マニアだ」と言う人がいるなら、「そうなのかぁ。本人がそう言うならそうかもしれないね」って、認めてあげればいいんじゃないかな。だって、その本人が自分の中でそう思っているだけなら、ほかの人にとって害はないもの。「いや、お前は確かにオタクだ。オタクだオタクだオタクだ」って、言う必要ある?
「我思う、故に我あり」って言ってる人に対して、追い掛けていって、肩をつかんで振り向かせて、「そんなことない。お前は存在しないかもしれない」なんて言う必要ある? 放っておいてあげようよ。(まぁデカルトの場合は、そのことをギロンしようという道を自ら選んだ人だろうから、「それでも」とギロンをしかける余地はあるのだけど)
誰かが「ある」と言うなら、「そっか。そこからは、それが見えるんだ。あると感じられるんだ」と認めてあげる。そのことについては、云々しない。でね、問題はその後。それが「ある」ということを、「ほかのすべての人が受け容れる必要はない」。つまり、「彼の世界にはそれはある(あるのかもしれない、あるのだろう)」ということと、「でも自分にはそれは見えない。ないように思う。自分の世界にはそれはない」というのは、両立しうる。
自分のいる場所から見えるものが、違う場所にいるほかの人からは、見えないかもしれない。そのとき、それは「ある」のか、「ない」のか。
それを、大真面目に議論するというのも、1つの人生の楽しみだ。余暇として楽しむ分にはいい。でもまぁ、「どっちでもいい」という態度もありだ。言葉が「成立」しているかどうかなんて、どうでもいいじゃない。目くじら立てて、それが成立しているかどうか決めなくてもいいと思う。
結局のところ、ある言葉や観念が、あるのかないのかは検証できないんだし、あってもなくても、明日はたぶんやってくる。もうさ、明日がやってくるんだから、いいじゃん。それが、それこそが大事じゃん。彼や彼女のいる場所からは、自分には見えないものが見える。あるいはその逆で、ほかの人には見えないものが、自分には見える。それって、けっこう、切なくて素敵なものだと思います。
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そういうようなことを分かってくれる人がたまにいて、楽しいなって思います。そういう人と遊ぶのが好き。
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昨日の朝書いて、送信しきれなくて、一日ごちゃごちゃ書き直してたら、わけが分からなくなってしまった。まただいぶ変なことを書いてる気がするなぁ。
Comment
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早稲田の四畳半に 7人くらい集まって、アパートで酒飲みながら徹夜で議論してちょっとケンカみたいになるんだけど、明け方に誰かがギターを持ち出して、みんなで Mr.BIG の「To Be With You」を歌って笑顔で解散。
みたいな感じですか? 違うか。
何はともあれ、今後ともよろしくお願いしましま。
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えーとえーと。コメントいただいたんですけど。んー。……早稲田って、行ったことないしなぁ。
なんだかよく分からないけど、楽しんでもらえたみたいなので、ぼくもうれしいです☆
よかったらまた遊んでください。
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# おおう、Kusaka...
「ないものはない」、つまり「すべてのものは存在する」ということですね。深いなぁ。
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