メッセージ。 - どうでもいいけど、褒める難しさについて

# どうでもいいけど、褒める難しさについて

「褒めるのが難しい」という考えは、分からなくもないけど。

でも、こうしたらどうかなぁ? 「褒める」という方向で考えないようにするの。

誰かを○×したくなったとき、素直に○×したら、結果的に相手を「褒める」ことになるかもしれない。

でもそれは一面としての結果であって、あなたの(ぼくらの)行為のすべてじゃない。「褒めよう」と思って褒めたわけじゃない。結果として、(外から観測したら)褒めてしまった、という感じではダメなのかな?

「褒めざるを得なかったのだ」。ぼくは、褒めるという行為はそうあるように感じる。

褒めたくて褒めたわけじゃない。○×したかったんだ。○×せずにはいられなかったし、○×してしまった。その結果として、表象的には「褒めた」と観測される事象が起こった。自分にとって、行為とはそういうもののように感じるし、そうであってほしい。

だから個人的には、褒めるという行為について自分は責任を取るつもりもないし、それによって何かを得るつもりもない。かろうじて。○×した、○×したいと思ったということについてなら、自分は責任を取れるし、「たしかに自分がそれをやった」と言うことができる気がする※。

※ なお、○×という概念は、2007年現在、科学的には発見されるのを待っている状態です。

ジョジョはこう言ってる。「誰かの命を助けるのに、理由なんているのか?」と。褒めるのだって同じだ。誰かを褒めるのに理由なんかいらない。その行為による帰結もいらない。理由や帰結が頭をよぎる前に、引き金を引け。○×するんだ。それしかない。
2007-09-11 10:40:07 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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