メッセージ。 - 「漏れのある抽象化の法則」、嫌いなこと、好きなこと
# 「漏れのある抽象化の法則」、嫌いなこと、好きなこと
「アルゴリズムを知らない子ども達」の補足(?) - val it : α → α = fun
http://www.jmuk.org/diary/2007/09/13/0
一連の話を見てて思うのだけど、結局は「漏れのある抽象化の法則」(参照:Joel on Software)なんだよなぁ。「漏れのある抽象化の法則」という概念は、もっと世の中に知られていてよいと思う。それも「たぶんそれは正しい考え方だ」として。漏れのある抽象化の法則は、「銀の弾丸」に近い正しさを持っていると思うんだけどなぁ。
ただ、「漏れのある抽象化の法則」は分かりにくいとも思う。まず名前が分かりにくいし、「Joel on Software」を引用しても、どうもうまく説明できている感じがしないときがある。「分かる人には分かる」という感じが強い。なんかもうちょっと、生活に近いレベルで「漏れのある抽象化の法則」と同じことを説明している言葉や例ってないですかね?
あと、今回のような議論で紛糾しているのは、結局のところはここだと思う。
ここは、次のように(解釈なり表現なり、表現されていると考えるなり)したほうがいいんでないかな(shiroさんの言葉だけでなく、shi3zさんの言葉についても同様に)。
自分が好きな人には、「こうなってほしい。こう考えたほうがよいと理解してほしい」というのなら分かる。でも、自分が好きでもなんでもない相手にまで、自分の理想を理解してもらったり使ってもらったりする必要はない。これ、皮肉でもなんでもなくて、素直に、「そう考えたほうが、言っているほうも言葉を受けるほうも幸せだ」と思ってる。
だって、好きでもなんでもない人が、どのようになろうが関係ないじゃん。好きでもなんでもない人に対して「このようにあるべき。こうしろ」なんていわなければいけない、言いあわなければいけない世界は不幸だ。それぞれの人間は、それぞれの生き方を十分自由に選んでいい。絶対普遍的に「○○すべき」なんていえるような、明確なアフォリズムは存在しないのだから。(ヒント:どんなに優れた「○○すべき」も、抽象化が漏れる。そのとき「○○すべき」と言った人は責任取れますか? 取りたいですか?)
あと、もう書いてるけど、このように解釈するテクニックは、読み手のほうも持っていてほしいなぁと思う。つまり、「○○すべき」という言葉をどこかで見つけたら、こう考えてはどうかな? 「ああこの人は、自分の好きな相手(恋人とか友達とか家族とか)に向けて言ってるんだな。でも自分は彼の恋人でも友達でも家族でもないし、彼のことをそれほど好きなわけではない。だからその言葉を、自分の中に採用する必要はない」。
いいかい? ぼくはこう思う。自分の好きでもなんでもない人や何かが、何を言ってようが何をしてようが、関係ない。本当に、それは自分には(あなたには)関係がない。だから、何か気に入らない言葉や事物を見つけたとき、それがあなたの好きな人によって発せられたのでないなら、それを受け容れる必要もないし、ましてやそれに反発する必要もない。なぜか。
時間の無駄だから。そして大事なのは(あなたの(ぼくの))時間だ。気に入らないものを見つけたとき、それをやっつけて掃除することが価値になるケースもあるだろう。でも、実は世の中には、あなたの気に入らないものや嫌なことはいっぱいあるんだ。世界を探検して、それを全部見つけだして、全部排除するなんてことはできない。やるとしたらそれは一生をかける仕事になるし、一生が終わるときにも、まだまだ全然仕事が進んでいないことに気付かされて途方に暮れるだろう。
だからあなたは(ぼくは)、そんなことに時間を費してはいけない。嫌なこと、気に入らないことに目を向けて生きるのではなく、好きなこと、気に入ることに目を向けて生きたほうがいい。なぜか。……
http://www.jmuk.org/diary/2007/09/13/0
> で、ブラック・ボックスを組み合わせてやるのも楽ですし、本もいっぱい出ていますけど、そういうのは一応、ブラック・ボックスの中が判っている人が便利だから使うっていうのが正しいやり方であって、なんかわかんないけどとりあえず組み合わせればいいや、というふうにはなって欲しくないかな、と思います
一連の話を見てて思うのだけど、結局は「漏れのある抽象化の法則」(参照:Joel on Software)なんだよなぁ。「漏れのある抽象化の法則」という概念は、もっと世の中に知られていてよいと思う。それも「たぶんそれは正しい考え方だ」として。漏れのある抽象化の法則は、「銀の弾丸」に近い正しさを持っていると思うんだけどなぁ。
ただ、「漏れのある抽象化の法則」は分かりにくいとも思う。まず名前が分かりにくいし、「Joel on Software」を引用しても、どうもうまく説明できている感じがしないときがある。「分かる人には分かる」という感じが強い。なんかもうちょっと、生活に近いレベルで「漏れのある抽象化の法則」と同じことを説明している言葉や例ってないですかね?
あと、今回のような議論で紛糾しているのは、結局のところはここだと思う。
> なんかわかんないけどとりあえず組み合わせればいいや、というふうにはなって欲しくないかな、と思います
ここは、次のように(解釈なり表現なり、表現されていると考えるなり)したほうがいいんでないかな(shiroさんの言葉だけでなく、shi3zさんの言葉についても同様に)。
> なんかわかんないけどとりあえず組み合わせればいいや、というふうには(自分が好きな相手には)なって欲しくないかな、と思います
自分が好きな人には、「こうなってほしい。こう考えたほうがよいと理解してほしい」というのなら分かる。でも、自分が好きでもなんでもない相手にまで、自分の理想を理解してもらったり使ってもらったりする必要はない。これ、皮肉でもなんでもなくて、素直に、「そう考えたほうが、言っているほうも言葉を受けるほうも幸せだ」と思ってる。
だって、好きでもなんでもない人が、どのようになろうが関係ないじゃん。好きでもなんでもない人に対して「このようにあるべき。こうしろ」なんていわなければいけない、言いあわなければいけない世界は不幸だ。それぞれの人間は、それぞれの生き方を十分自由に選んでいい。絶対普遍的に「○○すべき」なんていえるような、明確なアフォリズムは存在しないのだから。(ヒント:どんなに優れた「○○すべき」も、抽象化が漏れる。そのとき「○○すべき」と言った人は責任取れますか? 取りたいですか?)
あと、もう書いてるけど、このように解釈するテクニックは、読み手のほうも持っていてほしいなぁと思う。つまり、「○○すべき」という言葉をどこかで見つけたら、こう考えてはどうかな? 「ああこの人は、自分の好きな相手(恋人とか友達とか家族とか)に向けて言ってるんだな。でも自分は彼の恋人でも友達でも家族でもないし、彼のことをそれほど好きなわけではない。だからその言葉を、自分の中に採用する必要はない」。
いいかい? ぼくはこう思う。自分の好きでもなんでもない人や何かが、何を言ってようが何をしてようが、関係ない。本当に、それは自分には(あなたには)関係がない。だから、何か気に入らない言葉や事物を見つけたとき、それがあなたの好きな人によって発せられたのでないなら、それを受け容れる必要もないし、ましてやそれに反発する必要もない。なぜか。
時間の無駄だから。そして大事なのは(あなたの(ぼくの))時間だ。気に入らないものを見つけたとき、それをやっつけて掃除することが価値になるケースもあるだろう。でも、実は世の中には、あなたの気に入らないものや嫌なことはいっぱいあるんだ。世界を探検して、それを全部見つけだして、全部排除するなんてことはできない。やるとしたらそれは一生をかける仕事になるし、一生が終わるときにも、まだまだ全然仕事が進んでいないことに気付かされて途方に暮れるだろう。
だからあなたは(ぼくは)、そんなことに時間を費してはいけない。嫌なこと、気に入らないことに目を向けて生きるのではなく、好きなこと、気に入ることに目を向けて生きたほうがいい。なぜか。……
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