メッセージ。 - 「漏れのある抽象化の法則」追記

# 「漏れのある抽象化の法則」追記

ちょっと追記してしまう。

ぼくは、「漏れのある抽象化の法則」には一定の価値があると思ってる。でも、だからといって「○○を知らなければ△△を知ったことにはならない」という考え方が良いとは思わない。むしろ嫌いだ。

だって、「○○を知らなければ」という考え方は、キリがないんだもの。アセンプリ言語を知らなければと言いはじめると、いや電子回路が先だとか、量子論のほうがもっととか、数学を理解しないととか、どんどんどんどん深追いすることになって、しかも終わりがない。

俯瞰して見てみよう。それぞれ皆が、自分の得意なものを持ち上げて「○○を知らなければ△△を知ったことにはならない」と言っている。まるで水辺で、お腹を膨らませて競争をしているカエルだ。

だからもう、競争はコリゴリだ。コリゴリなんだ。やめてくれ。

ただ、「漏れのある抽象化の法則」には一定の価値があると思うのだ。それは、ある道具やある知識を使っているとき、それがどういう原理で動いていて、なぜなのかを考えたりするのは、役に立ったり、面白い発見があったりするよということだ※。それだけで十分だ。

※ あと、もう1つあった。下へ下へと原理を追いかけてもキリがないのと同様に、どれだけ高度な抽象化レイヤを作っても、下のレイヤの影響をゼロにすることはできないということだ。
2007-09-14 10:51:41 / カエル / Comment: 0 / Trackback: 0

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