メッセージ。 - ルールというのは守るべきものなのかどうか

# ルールというのは守るべきものなのかどうか

ある人が、自分の子供を育てるときには、「ルールは守るべきものだよ」と基本的に教えるつもりだと書いていた。

それを読んでいろいろ思ったのだけど、ここでは1つだけメモ。

ルールって、守るべきものなのかなぁ。個人的には、ぼくだったら子供にはこう教えたい。

「ルールを守るのも1つの手だよ」。

何が違うかというと、後者は自分の意思でルールを守るってこと。

「ルールは、守らなくてもいい。でも守ってもいい。選択はあなたの手に委ねられていて、その結果はあなたに返ってくる。自分が、良いと思ったことをやってごらん?」。そう言われたほうが、面白くない?

「ルールは守るべき」って言われたら、「なんで?」って思っちゃうじゃん。で、言うほうも「守るべきだから守るべき」って言い張るしかないじゃん。

それはさぁ、とんちとしてなら面白いと思うんだけどさ。「守るべき」って言われた子供が、何年も「なんで!?」って考えつづけて悩んで、ついにそのとんちの答を見つけるなら楽しい。

でも、そのとんちの答について、実際には分かってない大人も子供も多いじゃん。「守るべき」って言われたらさぁ、答を探す必要もないんだよね。守ってさえいれば何がしかが担保されるわけだから。

守るべきっていう考え方は、ネガティブな思考の温床になりやすい気がするの。自分はルールを守ってるのに、あれが手に入らない、これが気に食わないって。

つまり、「ルールは守るべき」思考って、目的が「ルールを守ること」以上になりにくいんじゃないかな。人から言われてルールを守る生き方と、自分の意思で「ルールを守るときもある」という生き方。後者のほうが楽しいと思うんだよなぁ。

ちょっと追記:大事なのは、「ルールを守ること」じゃなくて「なんのためにルールを守るのか、その『なんのため』って何?」ってことだと思うんだよね。「なんのために」ってことが大事で、ルールはその大事なことを守るための手段に過ぎない。

だから、最後に守るべきものや守りたいもののためなら、ルールなんて破ったっていいとぼくは思ってる。ただし。誤解のないように言っておくと、たとえばぼくが好きな友達の一人で、上記にも同意してくれる人がいるのだけど、彼は実際に社会生活の中でルールを守ることが多い。

でも彼は、「ルールを守るべき」だから守っているわけじゃない。むしろ、「ルールを守りたい」から守っている。結果的には、そう行動している。「守るべき」だからルールを守っている人と、「守りたい」からルールを守っている人なら、どっちの人と友達になりたいか。自分はどっちの人のようになりたいか。そういう感じなんだよなー。
2007-09-27 11:07:06 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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