メッセージ。 - 狂気と近代

# 狂気と近代

はてブついでに覚書。 - 思考の用語辞典
http://d.hatena.ne.jp/chanm/20070930/1191166037 
 知ってる?かつて狂気は神聖だった。すくなくともプラトンのころ、狂気は両義的なものだったんだ。狂気は理性をうしなった人間の失墜したすがたではある。でも神的なものとの通路でもあった。だから神的な理性というとくべつな地位をみとめられていた。プラトンにとって詩人は、常人にあたえられない通路をつうじて神と交流する者で、それじたい一種の狂気にちかい存在だったんだ。その後ながらく中世まで、狂うことの両義はたもたれていたのに、近代のはじまりにいったいなにが起きたのだろう。そこで人間はぐらりと理性の側にかたむく。
 
 p.157 狂気 foile, alie'nation, Wahsinn

へぇ。こういう歴史は知らなかった。狂気についての感覚は、近代以前の人に共感するなぁ。近代ってやっぱりおかしいような気がする。言うならば、近代人は狂ってる。

それはそれとして独り言。ぼくは、こういう本を読むのは好きじゃないんだよなー。というのも、こういう本を読むのはコミュニケーションをするためにはよいけど、コミュニケーションではない何かをしたい人には役立たないから。

巨人の肩に乗ったり、すでに発見された概念を知ることは、大きな価値があると認める。でもそれが、それこそが自分の問題を解決するのか?と考えると、ぼくの場合は違う。自分の求めていたまさに最後の答が本に書かれているのを発見したとしても、ぼく自身はきっと救われない。

救われないというか、そこで終わらない。そのことについて誰かと話しても話しても渇きはいえない。だから、本を読もうと読むまいと、自分にとっては同じことだ。自分の考えなど陳腐なものであることは分かっている。だけど、だからといってぼくはそれを捨てない。語ることが1つもなくなったって、「語ることがない」と言う。

(一応念のため、本を読むことに価値がないという意味ではないですよ。)
2007-10-05 10:48:54 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

Comment

# あれ?

古代ギリシャでも、精神病は「最も破滅的な病」とされてきたとどこかで読んだ気が…。
記憶違いかも。
2007-10-06 07:55:38 / Hi-Low-Mix / Comment: 0 / Trackback: 0

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この点については調べてみる価値がありそうですね。あと歴史という観点で見るなら、日本国内ではどういった考え方があったのかも気になるところ。個人的な感覚では、日本国内では「狂気が肯定的に捉えられていた」という感じはあまりないですが……。
2007-10-08 18:10:33 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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