メッセージ。 - 日々

# 日々

承認2.0 - はてブついでに覚書。
http://d.hatena.ne.jp/chanm/20071026/1193417274

この人の感性は鋭いなぁ。でも鋭いだけじゃなくて、丸くて優しい。好きだ。

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まあ基本的なとこはココなんだけどね、って話。 - S嬢 はてな
http://d.hatena.ne.jp/satomies/20071027/p1#c
 > 自分が進む道を歩む。
 > 自分を信頼してくれる人を支えにする。
 > っつ〜ことに行き着くのね、結局は。 

そう! そうなんよ。
おいらが口を酸っぱくして言ってるのもこれなんだよなぁ。
外野からいろいろ言ってくる人の言葉は、
ポジティブなものであれネガティブなものであれ重く捉えない。
(逆に自分も軽々しくそっちにくちばしをはさまさない)
それよりも、身近にいる本当に大事な人を本当に大事にしなさいよと。

それにしても、satomieさんの書かれていることは
ほかにも共感できるのがいっぱいだ。

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2007-10-04 - みやきち日記
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20071004#1191464553
 『13歳からの論理ノート』(小野田博一、PHP研究所)という本を最近読みました。論理的に考えるためのポイントが明快に書かれており、たいへん役に立つ本だったのですが、特に印象深かったのは以下の部分。「日常的に見られる変な論理は、多くの場合、隠されている前提が変なのだ」という趣旨の話の一部分です。
 
 > 【例】
 > 「歩きタバコは不快である。歩きながらタバコを吸うことを禁止すべきだ」
 > 
 > これを省略なしの形にすると、次のようになります。
 > 
 > 「歩きながらタバコを吸っている人がいるのは、私には不快だ。私に不快なことは、すべて禁止すべきだ。したがって、歩きながらタバコを吸うことを禁止すべきだ」
 > 
 > このように省略なしにすると、ムチャクチャなことを述べていることが歴然となりますね。ところが、
 > 
 > 「歩きタバコは不快である。歩きながらタバコを吸うことを禁止すべきだ」
 > 
 > では必ずしも歴然ではありません。省略なし版のほうをムチャクチャと思い、省略版の方をムチャクチャと思わない人は、「省略」にごまかされているわけなのです。

ふぅむ、たしかに。これ、実際にやるのは難しいんだけど、そのへんはどうやって説明してるんだろう。ちょっと読んでみたいなぁ……。

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「やりたいこと」と「売れること」は対立しない。どちらかではなくどちらもやることにこそ頭を使ってほしい - ラノ漫—ライトノベルのマンガを本気で作る編集者の雑記—
http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20071026/1193403354
 「LEON」の創刊編集長として知られる岸田一郎氏は、著書「LEONの秘密と舞台裏」で次のように語っています。
 
 > 「オタク」なものになればなるほど、読者はどんどん減っていきます。もし、一部のマニアックな人たちから
 > 「今までこんな凄いものはなかった!」
 > といわれるほどの雑誌ができたとしても、それを理解して賛同してくれる読者の絶対数というのは、思った以上に少ないという場合がほとんどです。
 > 私の感覚では、作り手の「自己表現度」といったものが高いほど、読者はかえって少なくなる。雑誌とはおしなべて、そういうものなのです。

そうなんだよね。雑誌に限らずブログにも言えることだと思う。一時期、「アクセス数の多いブログが、面白くて価値があって偉いの?」という話題が盛り上がったけど、結局のところそれらの間には直接的な相関関係はないか、むしろ若干負の相関があるのだろう。

もうちょっと一般化して、科学的価値や芸術性などが高ければ高いほど、それを好んで理解・共感する人の数は少なくなるのだろうとぼくは考えている。でも、ちょっと待てよ。「科学的価値や芸術性が高い」というのはたぶん「普遍性が高い」ということで、多くの人に受け容れられるのが自然なような気がするか……。や、でもだからこそ、かな。多くの人は普遍性を身近には置かないで暮らしていたりする。普遍性よりもっと身近なものとして、国籍であるとか人間であるとか、男であるとか、モテであるとかなんとか職であるとかいうことにアイデンティファイされることを好む。だから、普遍性の高いものはそれほどニンゲンと相性が良いわけではない(とくに短いタイムスケールでは)という仮説。は言えそう、という感じだったか。

 最後に、福島正実氏が「未踏の時代」で語っている、「SFマガジン」創刊時の考えかたを引用して今回の締めに代えたいと思います。
 
 > もしSF雑誌を曲がりなりにも成功させようとおもうなら、まず第一に、SFファンを無視してかからなければならない。SFファンを読者対象としてあてにしてはならない。SFファンのための雑誌しかできないようなら、最初から出さない方がいい——ぼくは、こう考えた。

うーん。鋭いなぁ……。なんとなくは、おいらもこういう意見を持っていたけど、ここまで端的に、しかも公の文章として意見を述べられるというのはものすごい切れ味だ。あと、実際にこれを実践してビジネス的にも文芸的にも成り立たせたんだろうからすごい。

ええとまぁ結局は、これも雑誌に限らないんだよね。我々は、ユーザーが望むものを与えてはいけないというか。ユーザーが(作者ですら)望みさえしなかった望外のものを提供してこそだという気がする。アウトプットしたものが独り歩きしていくような、そういう作品・製品を作れたら最高だ。

もっと言えば、ぼくはこれは作品や製品やアウトプットに限らないかもしれないと考えている。つまり、自分というものが、自分の望みどおりに生きたり自分の考えたとおりの道を進んでいるのなら、それは自分にとって最も幸せな生き方ではないということ。自分らしく生きようとするなら、いずれ自分を捨てなければならないときがくるのではないか。不射の射というか。そういう生き方ができたらうれしい。
2007-10-27 22:54:24 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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