メッセージ。 - インターネットとコミュニケーション
# インターネットとコミュニケーション
仕事関係の情報収集をメールベースでやっているのだけど、いろんなメールがくる。ネットワークやデータベース関連の製品、Webサービスを始めたベンチャー企業、企業間提携の話など本当に種々雑多だ。毎日こういうのをチェックしているのだけど、ほとほと疲れる。なんでこんなに疲れるのかなぁ。たとえば同じような分量を読むのでも、新聞ならそれほど疲れないのに。
ということを考えていて気が付いた。文章を読むという行動の裏側で、人間は書き手のコンテキストを理解しようとしているんじゃないだろうか。書き手はどの程度の知識を持っているのか、どういうセンスでものごとを捉えているのか、どこかに偏りがないか、など。新聞というのはそこが統一されている。一般の雑誌もそうだ。だから読んでいて疲れない。逆にメールやWebサイトの巡回などは、ぼくにとっては骨折り仕事だ。そこには、書き手の知識の多寡や偏りといった「情報」の雑多さがあり、おどろきや怒りや悲しみといった強い「感情」がこもっている。
一言でいえば、知らない人とコミュニケーションをするのは疲れる、ということなのかもしれない。
ということを考えていて気が付いた。文章を読むという行動の裏側で、人間は書き手のコンテキストを理解しようとしているんじゃないだろうか。書き手はどの程度の知識を持っているのか、どういうセンスでものごとを捉えているのか、どこかに偏りがないか、など。新聞というのはそこが統一されている。一般の雑誌もそうだ。だから読んでいて疲れない。逆にメールやWebサイトの巡回などは、ぼくにとっては骨折り仕事だ。そこには、書き手の知識の多寡や偏りといった「情報」の雑多さがあり、おどろきや怒りや悲しみといった強い「感情」がこもっている。
一言でいえば、知らない人とコミュニケーションをするのは疲れる、ということなのかもしれない。
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