メッセージ。 - 匿名と日本の社会

# 匿名と日本の社会

以下の文章は、サーバーでのHDD障害が起こったことにより一時的に消えていたのを復旧したものです。オリジナルの公開日付は、2009/06/05 16:48です。

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「残念」な状況を作り出した大きな原因は、はてなである。梅田氏が「バカなコメントが多い」といったように、実名の生産的な批判より匿名の悪罵のほうが圧倒的に多いことが「上の人」を萎縮させ、日本のウェブのレベルを下げているのだ。その結果、アメリカのブログは著名人が既存メディアの枠を超えてリアルタイムで議論する場になり、大手メディアに対抗する存在になりつつあるのに、彼も嘆くように日本のブログはますます劣化している。

私は、この原因は「日本人の国民性」だとは思わない。それは戦後の日本企業システムの鏡像である。長期雇用のもとでは、絶えず他人の噂話による「360度評価」にさらされるので、ちょっとした失敗やトラブルがあると、そのreputationが数十年にわたって社内で積み重なり、出世に大きく影響する。このシステムはモラルハザードを抑制する上では強力な効果を発揮するが、上司を批判できず転職という逃げ場もないため、そのストレスが匿名による悪罵にはけ口を求めているのだ。

うーん、違うと思うなぁ。上の人が広く議論を呼びかけたり、行動したりできないのは、まさしくここが日本だからだ。そして逆に、「議論によって政治を変えられる」、「公の場でのぶつかりあいで政治が変わる」というのは、アメリカの特性じゃないかと思う。

また、梅田さんも池田さんも「日本のWebの悪いところだ」(アメリカのWebの良いところだ)と言うけど、それも違うと思う。確かにWebは、オバマ大統領の誕生に大きく貢献したけど。でも、Web以前の下地として、アメリカには公の場で政治を変える文化がある。Webがどうこうという話ではない。社会がそのようになっていて、それがWebにも染み出しているだけだ。

アメリカには、「政治に参加する」という民主主義的文化があるというか。一方日本は、民衆は見てるだけで政治に参加してないんじゃないかな。たとえば、みんなの身近で政治家になろうとする人って、いますかね? 政治家になりたがるのは、あるいは政治家としてずっと続けていられるのは、親が政治家という人ぐらいじゃないかな?

日本では、「いまの政治は嫌だ」とか、「ここがおかしいから変えたい」とか思っても、それを変えられる気がしない。映画の『それでもボクはやってない』を見て、ぼくはあんな裁判は嫌だと思った。みんなも思ったでしょう?でも、どうやってこの国を変えたらいいか、変えられるか、分からない。

いろんな嫌なことがある。変だと思うことがある。でもそれを、政治的に変えられるようにぼくらは感じていないし、政治があまりにも遠い。政治というものが、胡散臭いように感じていたりもする。それに、よく考えたら、自分自身は今猛烈に困ってるわけじゃないし。だからとりあえず、静観しようとする。

でも、もしぼくがアメリカに住んでいたら、そうじゃないんじゃないかという気がする。政治は曲がりなりにも機能をしていて、問題がたくさんありながらも、現実を変えていけるという、可能性を感じられるんじゃないかな。少なくともぼくは、オバマ大統領が誕生したとき、「ああ、彼らはまだやれるんだ」って感じた。あのような感動の選挙が、日本でも実現するだろうか? ぼくには、その実現可能性はかなり低いように感じる。

日本では、「饅頭怖い」方式で政治が密室でなされる。いや、政治だけに限らない。ほとんどのものごとが密室で決められている。日本の「上の人」は密室に拘束され、オープンな場で議論できない。密室の中にいる「上の人」が、密室内での情報を外に漏らせば、密室から追放されてしまう。そして、追放のリスクを冒して世論に訴えたところで、ものごとは変わらない。密室の力が強すぎるからだ。

そもそもこの国では、誰かが顕名で物申したとしても、ものごとの決定には参加できないのだ。なぜなら、どのような正論も、また世論も、関係者(密室)の利害という渦に飲み込まれてしまうから。このことを、うまく説明している記事がある。

国策がないから検察が勝手に暴走できるのだろうし、この暴走の仕組みは別段検察に限らない。日銀とかも暴走しているし、厚労省もそう見える。まあ、仔細に見ればいろいろ違うとか利権のスジとかからのご意見もあるだろうけど、いずれにせよ、民意みたいなものとは独立して、これらのシステムがご勝手に動く。というか、これこそまさに日本がシステムだということにすぎない。

(中略)ようするに、日本にはシステムだけがあって、権力の中枢がない。というか、意志としての国家が存在しているようにはまったく思えない。というときの、国家(ステート)というのをどう考えるか。

要するにこれは、日本の社会が多数の密室によって執行されていることだと思う。このような状況に照らしてみると、「顕名で議論を呼び掛ける」というのはあまりにも脆弱だ。なぜなら相手は、組織という名の密室・匿名であり、また直接の相手だけでなく、周りに存在するあらゆる組織がまた密室・匿名だからだ。国の機関も密室だし、マスコミの言論も匿名だ。正論を言っても取り上げてくれないし、裏から手を回して潰されてしまう。密室は密室と結びつき、相互監視・相互干渉することで権力闘争している。そしてその構造は、「裏側」を成立させやすくしている。

もちろんぼくも、こういったところは日本の悪い面だと思う。アメリカのような選挙をうらやましく思い、日本ももっと良くあってほしいと思う。もしかしたら、日本のネットで顕名を導入すれば、いつかWebでの言論が実社会を凌駕するようになり、実社会も顕名ベースで正論が通るようなものに変わっていってくれるかもしれない。でもそのような理想は、単にネットで顕名を導入するだけでは実現しないだろう。本質的な原因は、ネットの匿名性ではないからだ。

アメリカでも日本でも、「ネットのシステム」自体には同じものを使っている。ただ、アメリカでは顕名で使っている人が多く、日本では匿名で使う人が多いというだけのことだ。では、なぜそうなっているのか? そこを考えなければならない。それはインターネットというシステムの問題ではない。そのように使う人々の心、つまり社会の問題なのだ。単に顕名を強制するようなシステム、罵声を見えなくするようにするシステムを導入したところで、本質的な原因を取り除くことはできず、社会を望む形に変えることもできない。

ネットにいて匿名で罵声を浴びせる人間は、そりゃあ卑怯かもしれない。しかし、密室でものごとが決まる日本社会で、密室から情報をリークできるのは匿名だからこそだ。顕名で告発することもできるだろうけど、告発した者の保障は決して十分ではなく、また告発が成功する可能性も十分高いと言いきれないだろう。トカゲの尻尾切りで逃げられる可能性も高い。

また、ひろゆきさんが言うように#1、匿名だからこそ「誰が言っているか」ではなく、「何を言っているか」で議論可能性が高まる面もある。いままでの日本では、「誰が言っているか」が重視されすぎた。なぜなら、「誰が言っているか」こそが密室の意図を読み解くための鍵であるからだ。現在の日本では、議論の中身は結論に影響しない。薬事法改正の件でも、法案の趣旨とやっていることがアベコベだ。パブコメを送ったところで、勝手に施行されてしまう。

敵はネットではないのだ。ネットの匿名性でもない。(何回か書いてるけど)勝海舟さんはこう言っている:「我が国と違い、アメリカで高い地位にある者はみなその地位相応に賢うございます。(将軍家茂に拝謁した際、幕府の老中からアメリカと日本の違いは何か、と問われて)」#2。「上の人」が(サブカル以外の領域で)才能を発揮できないなんて問題は、江戸の昔からずーっと続いているのだ。それは、たった数年のWebの変化なんかで変えられるものじゃないし、変えられると思うほうがおかしい。もしそれを変えたいなら、それは命懸けでやるべきような仕事だろうと思う。

#1 4Gamer.net ― [OGC2008#03]「2ちゃんねる」と「ニコニコ動画」のひろゆき氏が語る,ゲーム・コミュニティ・文化(シヴィライゼーション4【完全日本語版】)

#2 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%B5%B7%E8%88%9F
2009-06-09 13:40:53 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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