メッセージ。 - 日本人とイノベーション
# 日本人とイノベーション
日本の社会や企業はイノベーティブじゃなくて嫌だとずっと思っているのだけど、最近になってなぜ日本はイノベーティブじゃないか分かってきた気がする。
それは、たぶん日本の社会が(ここ1000年以上といったスパンで)農業によって成り立ってきたからだ。農業というのは、毎年決まった時期に種をまき作物の世話をし、時期になったら収穫をすることで基本的な生活が成り立つ。自然の恵みは1年のサイクルと決まっていて、それこそが人間の暮らしを支えてくれる最も重要なファクターであったはずだ。
そういったサイクルの中で生きている人間にとって、最も恐るべきことは、そのサイクルが変わってしまうこと。自然の恵みのサイクルが破壊されてしまうことだろう。
英語の勉強をしていて英語圏の人と雑談なんかをしているとき、自分は「Do you feel it's natural?」と頻繁に質問してしまっているように思うが、たぶんこの質問を正しい(より自然な)英語で表現するならば「Do you feel it's better?」となるのではないか。
この違いはもちろん、物事の価値判断を「それが自然なあり方である」という基準で行うか、「それが良い方法である(良い方法であると自分が考える)」という基準で行うかということだ。日本人は、自分がどう考えるかではなく、自然の中でそれがどう位置付けられるか、自然と折り合いが付くかを暗黙の前提として考えてしまっている。つまり、自然を最上位に置く価値観を持っているように思う。
だとするならば、このような価値観のなかではイノベーションというのはそれほど重要ではなかったのではないか。もちろん、農機具が改良されたり、作物の作り方で新しい発見があったりすることも重要だろうけど、基本的には毎年のサイクルを回すことが基本であり最重要であることには変わりがない。また、20年そこらのサイクルで子が生まれまたその子に子が生まれというサイクルを回すこともまた重要な自然のサイクルであったはずだ。
そんな中で年功序列や家父長制以外の方法が価値を持つことなどあるだろうか?もちろん、発明や発想、研究なども重要ではあるのだけど、それらは博打みたいなもので稀にしか成功しない。人口の大半を占める一般大衆にとっては自然のサイクルを回すことのほうが生産的だし、社会全体として見たときに、そちらのほうが「まずやるべきこと」であることは間違いがない。
とにかく自分に回ってきた順番をこなすこと、自然のサイクルに沿って(基本的に)いつもと同じやり方を守ること、それが重要であっただろうと思う。また、「和をもって尊しとなす」というのも豊かな自然の恵みを分け合う、それ以上のことを望んで極端なことをしないことが賢いということだろう。その価値観が、現代社会にもそのまま息づいているのではないかという気がする。
それは、たぶん日本の社会が(ここ1000年以上といったスパンで)農業によって成り立ってきたからだ。農業というのは、毎年決まった時期に種をまき作物の世話をし、時期になったら収穫をすることで基本的な生活が成り立つ。自然の恵みは1年のサイクルと決まっていて、それこそが人間の暮らしを支えてくれる最も重要なファクターであったはずだ。
そういったサイクルの中で生きている人間にとって、最も恐るべきことは、そのサイクルが変わってしまうこと。自然の恵みのサイクルが破壊されてしまうことだろう。
英語の勉強をしていて英語圏の人と雑談なんかをしているとき、自分は「Do you feel it's natural?」と頻繁に質問してしまっているように思うが、たぶんこの質問を正しい(より自然な)英語で表現するならば「Do you feel it's better?」となるのではないか。
この違いはもちろん、物事の価値判断を「それが自然なあり方である」という基準で行うか、「それが良い方法である(良い方法であると自分が考える)」という基準で行うかということだ。日本人は、自分がどう考えるかではなく、自然の中でそれがどう位置付けられるか、自然と折り合いが付くかを暗黙の前提として考えてしまっている。つまり、自然を最上位に置く価値観を持っているように思う。
だとするならば、このような価値観のなかではイノベーションというのはそれほど重要ではなかったのではないか。もちろん、農機具が改良されたり、作物の作り方で新しい発見があったりすることも重要だろうけど、基本的には毎年のサイクルを回すことが基本であり最重要であることには変わりがない。また、20年そこらのサイクルで子が生まれまたその子に子が生まれというサイクルを回すこともまた重要な自然のサイクルであったはずだ。
そんな中で年功序列や家父長制以外の方法が価値を持つことなどあるだろうか?もちろん、発明や発想、研究なども重要ではあるのだけど、それらは博打みたいなもので稀にしか成功しない。人口の大半を占める一般大衆にとっては自然のサイクルを回すことのほうが生産的だし、社会全体として見たときに、そちらのほうが「まずやるべきこと」であることは間違いがない。
とにかく自分に回ってきた順番をこなすこと、自然のサイクルに沿って(基本的に)いつもと同じやり方を守ること、それが重要であっただろうと思う。また、「和をもって尊しとなす」というのも豊かな自然の恵みを分け合う、それ以上のことを望んで極端なことをしないことが賢いということだろう。その価値観が、現代社会にもそのまま息づいているのではないかという気がする。
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