メッセージ。 - にゃー
# にゃー
感情労働はしんどい。だから感情じゃない労働、端的にそれを表す言葉が分からないけど、そういうものに流れてしまいがちだと思う。でも、感情じゃない労働だけやるのもしんどいような気がする。日々無風で何もなければ良いのか。ただお金がもらえれば良いのか。楽なら楽なほうがいいのか。
もちろんお金は欲しいし仕事は楽なほうが良い。でも給料泥棒にはなりたくないよね。誰かの役に立って、喜んでもらえた対価としてお金をもらいたい。そのためにはしんどいこと、感情労働もやらなきゃいけないことがあるというか、頑張った先に価値をつかみとれたら、それは許容できるしんどさというか、やりがい?のようなものになると思う。
やりがいのない仕事はしんどいよ。ただ穴を掘って埋め戻すだけの仕事が一番苦しいという言葉があるように、仕事というのはそうじゃないものでなければならない。「自分がやっていることには価値がある」と思いたいし、逆に誰かに怒られたり見下されたり迷惑をかけたりしたくない。
「誰かに怒られたり見下されたり迷惑をかけたりしないためにはどうすれば良いか?」という観点では、できるだけリスクのあることは何もしないとか、できることだけをやる、といった対処法が思い付くけれども、このやり方は問題を先送りにしているだけで、不安の晴れない戦略になってしまう。
しんどいことはやりたくない、リスクのあることはしたくない、誰かに怒られたくない、そういう感情はもちろんあって、とくにぼくなんかはそれにずっと怯えている。でも、やらなきゃいけないことはやらなきゃいけなくって、やってしまえば胸を張って先へ進めることがあるとも知っている。
だから必要なことは「絶対にやらなきゃいけないことは何か?」の選択と優先順位付けで、やらなきゃいけないことが決まったら次は、しんどくて嫌だけれどもとにかくやってみる勇気、そしてやってみたことに対しては結果が良くても悪くても「がんばったね」と褒めてもらえるような何かなんだと思う。
ただし、こんなものは精神論で、現場にはきちんとした技術やリソースも必要だ。心技体、というやつか。昔の人はうまいこと言うなぁ。心・技・体の3つが必要なんだよね。「精神論を言うな」という言葉も分かる。精神論だけ叫ぶような現場はろくでもない。でも心技体という言葉が表すように、精神論は排除すべきものではなく、必要な3つの要素のうちの1つなんだよ。
心(何をやりたいか、何をやるべきと考えたか)、技(学んできたこと、自分ができること、得意なこと)、体(それをやりきるだけの体力や資金)が3つとも必要で、どれかだけが突出するのではなくバランスされているほうが良い。そしてもちろん仕事というのは相手もあることだから、そこも忘れてはいけない。
そういうことを前提に、最終的に仕事というのは面白くあってほしい。そんなのは叶わぬ夢みたいに聞こえるけど、でも、世の中には良い仕事をしている人がいる。「良い仕事」よりも、「善い仕事」が適切かな。自分も善い仕事がしたい。みんなだってそうでしょう?誰かに怒られたくないし、誰かを怒りたくもないよね。みんなが善い仕事ができたら、めちゃくちゃハッピーじゃん。
「みんなが善い仕事ができたら」なんてのは本当に夢物語だけれども、でもたまに善い仕事をしている人を見ることがあるんだから、絶対に誰もできないようなことでもないんでしょう?だったらできるだけ近付きたいよなぁ。少なくとも、善い仕事をしたいと思ったり言ったり何かを試してみたりするのは自由なはずだ。
もちろんお金は欲しいし仕事は楽なほうが良い。でも給料泥棒にはなりたくないよね。誰かの役に立って、喜んでもらえた対価としてお金をもらいたい。そのためにはしんどいこと、感情労働もやらなきゃいけないことがあるというか、頑張った先に価値をつかみとれたら、それは許容できるしんどさというか、やりがい?のようなものになると思う。
やりがいのない仕事はしんどいよ。ただ穴を掘って埋め戻すだけの仕事が一番苦しいという言葉があるように、仕事というのはそうじゃないものでなければならない。「自分がやっていることには価値がある」と思いたいし、逆に誰かに怒られたり見下されたり迷惑をかけたりしたくない。
「誰かに怒られたり見下されたり迷惑をかけたりしないためにはどうすれば良いか?」という観点では、できるだけリスクのあることは何もしないとか、できることだけをやる、といった対処法が思い付くけれども、このやり方は問題を先送りにしているだけで、不安の晴れない戦略になってしまう。
しんどいことはやりたくない、リスクのあることはしたくない、誰かに怒られたくない、そういう感情はもちろんあって、とくにぼくなんかはそれにずっと怯えている。でも、やらなきゃいけないことはやらなきゃいけなくって、やってしまえば胸を張って先へ進めることがあるとも知っている。
だから必要なことは「絶対にやらなきゃいけないことは何か?」の選択と優先順位付けで、やらなきゃいけないことが決まったら次は、しんどくて嫌だけれどもとにかくやってみる勇気、そしてやってみたことに対しては結果が良くても悪くても「がんばったね」と褒めてもらえるような何かなんだと思う。
ただし、こんなものは精神論で、現場にはきちんとした技術やリソースも必要だ。心技体、というやつか。昔の人はうまいこと言うなぁ。心・技・体の3つが必要なんだよね。「精神論を言うな」という言葉も分かる。精神論だけ叫ぶような現場はろくでもない。でも心技体という言葉が表すように、精神論は排除すべきものではなく、必要な3つの要素のうちの1つなんだよ。
心(何をやりたいか、何をやるべきと考えたか)、技(学んできたこと、自分ができること、得意なこと)、体(それをやりきるだけの体力や資金)が3つとも必要で、どれかだけが突出するのではなくバランスされているほうが良い。そしてもちろん仕事というのは相手もあることだから、そこも忘れてはいけない。
そういうことを前提に、最終的に仕事というのは面白くあってほしい。そんなのは叶わぬ夢みたいに聞こえるけど、でも、世の中には良い仕事をしている人がいる。「良い仕事」よりも、「善い仕事」が適切かな。自分も善い仕事がしたい。みんなだってそうでしょう?誰かに怒られたくないし、誰かを怒りたくもないよね。みんなが善い仕事ができたら、めちゃくちゃハッピーじゃん。
「みんなが善い仕事ができたら」なんてのは本当に夢物語だけれども、でもたまに善い仕事をしている人を見ることがあるんだから、絶対に誰もできないようなことでもないんでしょう?だったらできるだけ近付きたいよなぁ。少なくとも、善い仕事をしたいと思ったり言ったり何かを試してみたりするのは自由なはずだ。
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