メッセージ。 - にゃー

# にゃー

「○○できますか?」という質問をたまに受けるけど、これは哲学的な問いだなと思う。

できるかどうか、どうやったら分かるんだろうか。正直なところ、ぼくにはよく分からない。

「自分は何も分からない人間なんだな」と嫌になる。

でもとにかく答えないといけない。できるかできないかも分からない人間だと思われたくないから。できるかどうか分からないと答えたら、怒られそうだから。

それでどうするか。もう仕方がないから「やってみる」。やってみてできたら「できる」と答えるし、できなかったら「できない」と答えよう。

でも、今できなかったとしても、もう少し頑張ればできるかもしれない。また、今できたとしても、そのうちできなくなるかもしれない。

もうよく分からない。でもとにかく、とりあえず、やってみる。できるかどうか。ぼくにはもうそれしかできない。頭がよくないから。

でだ。やってみて、できたとしよう。その場合どう答えればいいんだろうか。

「できます」と答えるべきなんだろうけど、現実はすでに「できました」の状態になってしまっている。

「できました」と答えていいんだろうか?「できるか知りたかっただけなのに」と言われてしまうかもしれない。

「できました」の状態を元に戻してから「できます」と答えるのがいいような気がする。

でも、「できました」の状態を元に戻すことはできないかもしれない。その場合はどうしよう?

よしんば元に戻せたとしても、二回目はできないかもしれないし。

そもそも「○○できますか?」という言葉は「○○してください」という意味なのだろうか。

分からない。人間は難しい。
2025-05-24 01:07:28 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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