メッセージ。 - オトコとオンナ
# オトコとオンナ
http://d.hatena.ne.jp/zozo_mix/20050418#1113841500
切れ味がいいなぁ。そうそう。そうなんだよ。アレ、困るんだよねぇ。モノとかヒトとかならまだいいけど、関係性という扱いづらいものを好むから、女の子はやっかいだ。……でもね。この人の言葉をなぞれば自然にそこに行きつくけど、結局(そういう)女の人は、「関係性」を愛するその先に、自分をこそ愛してるんだよ。
この感覚は真実を突いていると思うけど、決定的な自己矛盾もはらむ(意識的にやっているのかもしれない)。文章のオモテヅラは男や関係性を愛しているように書かれている。だけどぼくには、「愛してほしい、愛してほしい」と聞こえる。
悲しいけれど、断言してもいい。「世の中のオンナは、オトコよりも『ジブン』の方が好きなのだ」。女性がどんなに男性を愛そうとも、それは男性のためではない。自己愛のためだ。ボク達「オトコ」は「自己愛」に負けたのだと認めねばならない。我々男性がどんなに女性を愛そうとも、ヤツらはボク達より「グッチ」や「化粧品」や「お金」とかの方が、好きなのだ。どんなときでも自分を愛してくれるから。
我々オトコノコは、オンナを好きでいる限り、一生「片思い」みたいなモンなのだ。なんて報われないのだろう。彼女らは、報われることを一番に望んでいる。彼女らが望んでいるのは、「ボク」ではない。報われることだ。そういう愛し方が「愛」と呼ばれているので、結局両者は一生「片思い」でしかないのだ。
じゃあ、オンナノコはなにを愛するかと言えば、それは「関係性」だ。オンナノコは「モノ」ではなく、「対象」と「自分」との間にできる「関係性」を愛するのだ。
切れ味がいいなぁ。そうそう。そうなんだよ。アレ、困るんだよねぇ。モノとかヒトとかならまだいいけど、関係性という扱いづらいものを好むから、女の子はやっかいだ。……でもね。この人の言葉をなぞれば自然にそこに行きつくけど、結局(そういう)女の人は、「関係性」を愛するその先に、自分をこそ愛してるんだよ。
この小説を読んだとき、アタシは悟った。悲しいけれど、断言してもいい。「世の中のオトコは、オンナよりも『モノ』の方が好きなのだ」。アタシ達「オンナ」は「無機物」に負けたのだと認めねばならない。我々女性がどんなに男性を愛そうとも、ヤツらはアタシ達より「レコード」や「潜水艦」や「アルバコア・ガトー級」とかの方が、好きなのだ。
この感覚は真実を突いていると思うけど、決定的な自己矛盾もはらむ(意識的にやっているのかもしれない)。文章のオモテヅラは男や関係性を愛しているように書かれている。だけどぼくには、「愛してほしい、愛してほしい」と聞こえる。
悲しいけれど、断言してもいい。「世の中のオンナは、オトコよりも『ジブン』の方が好きなのだ」。女性がどんなに男性を愛そうとも、それは男性のためではない。自己愛のためだ。ボク達「オトコ」は「自己愛」に負けたのだと認めねばならない。我々男性がどんなに女性を愛そうとも、ヤツらはボク達より「グッチ」や「化粧品」や「お金」とかの方が、好きなのだ。どんなときでも自分を愛してくれるから。
我々オトコノコは、オンナを好きでいる限り、一生「片思い」みたいなモンなのだ。なんて報われないのだろう。彼女らは、報われることを一番に望んでいる。彼女らが望んでいるのは、「ボク」ではない。報われることだ。そういう愛し方が「愛」と呼ばれているので、結局両者は一生「片思い」でしかないのだ。
Comment
# 愛ってなんだ…ためらわないことさ
そもそも、愛に勝ち負けがあるのかどうか。仮にあるとしたら、オトコノコは自己愛に負けてません。オンナノコが自分自身を愛するその愛以上にオンナノコを愛することが出来れば勝ちでしょう。
そもそも愛したオンナノコが自分を愛してくれるかどうかはどうでもいい気がするんですよね(厳密にはどうでも良くないですけど)。だから件の「電波男」も含めて、世に氾濫する「愛しづらい浮世を嘆く書」は「愛されづらい浮世を嘆く書」なんじゃないかなーと思う今日この頃です。
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