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↑の通りすがりです。
オープンソース界の「漠然とした入り難さ」というのは、90年代後期に見られたような何でもかんでも外から人を呼び込もうという(一部のメディアによる)宣伝行為が落ち着いてきた事によるものかと思われます。メディアでの扱われ方が変った…という事ではないかと。情報は初心者向けのものよりかは徐々に実用的な情報に変り、その手の雑誌なんかは使い慣れた人間からすればどうでもいいような内容であっても、初心者には小難しい話であったりという微妙な状態にあります(当然、連載が続いている話ならどんどん先へ進んでいっているわけですし)。

情報の基盤というのは実はLinuxもあって初心者向けの情報というのも絶えずあるわけなんですが、Windowsにあるような確固たる基盤(常識、定型的な情報や形式 様式)としては定着しきっていないというのが、暗黙の了解に見えてしまうというところでしょうか。何をどう使うか、例えばどのようにOSの構成を組み立てるか等も凡そ自由にできてしまう都合上「これ」といった定型的な形を持たない(持つものもあるけれども、それも多様に存在する)といった現状が初心者にとってわかりにくい。事前の知識としてある程度ソフトウェアの内容や趣向に関する情報がないと環境を形成するにあたって躓く事が多いというのが、いわゆる「暗黙の了解(流行りのソフト、主流のソフトについての情報)」に見えがち…という事なのかと個人的には思ってます。

まあ、それはWindowsにもあって誰も彼もがIEを使っているわけではなくて流行りはスレイプニルだったり、Firefoxだったりと様々で便利に使おうと思えば必然的にそれらを使うというのが「知っている人間達にとっての暗黙の了解」なのですが、知らないとずっとIE。ただIEの何が悪いかは別にしてIEはそのまま使おと思えば使える、Linuxの場合はMozillaやFirefox、Opera、Netscape等の選択肢がありどれが今主流か流行りか、どれが廃れているか、またそれらが「何のソフトであるか」を知らないとWebブラウンジングすらままならない、という点が一つの例として挙げられるでしょう。選択肢が多く、まだどれを選ぶかは自由、だが定型的な形を求める人にとってはその自由は邪魔でしかなくて「皆なにを使ってるか」という点が重要視される場合、その皆が「自分は何を使っている」という統計的なデータが乏しいしあえて自ら主張しようという人もあまり多くないという点が「暗黙的」に見えるんじゃないかなぁと。

自由主義的なのは一つの利点でもあり、とりあえず定型的な形あるいは「とっかかり」が欲しい人にとっては捉えどころが無いように感じてしまい入りにくい…という事なんでしょうかね。
2005-11-19 21:50:36 / 中野 / Comment: 0 / Trackback: 0

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