メッセージ。 - ソーシャルブックマークの劇場性
# ソーシャルブックマークの劇場性
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blogs.yahoo.co.jp/nonakajun/777584.html
「トラックバックを気軽に使おう。関係しそうな記事を検索して適当にトラバを打とう」という趣旨の記事が炎上していた。「それはスパムだ」というのがはてなブックマーク住民の意見として多く見られるんだけど、んー本当にそれでいいのかな?と思った。
少し前、「はてなブックマークのようなSBS(ソーシャルブックマーク)のコメントは、それを知らない人から見たら恐怖感を感じるものでありうる」という意見があった。自分の知らないところで自分の書いたものが評論され罵倒されているというのは不快だ(だからそういうことのないようにシステム提供者側で管理しろ)という指摘だ。ぼくはこの指摘は極論だと感じたけど、そういう面もなくはないと思っている。
端的に言って、SBSは「あちら」と「こちら」を分ける性質がある。はてなブックマークを使っている人は分かるだろうけど、あれを見ていると自分もコメントしたくなる。ほかの人のコメントに対して「そうそうそう! そうだよね」とか「それは違うんじゃないかなぁ」とか「そんなこと言うなよ」と言いたくなるのだ。
誰かはこれを劇場効果と言っていた。劇場や映画館で演じられている題目を見ていると、観客同士で妙な一体感が生まれるのだ。アクションシーンでは誰もが息を止め、おちゃらけたシーンでは笑いが起きる。そうした空気、間というものを観客は共有しており、また、共有していることをほぼ無意識的に自覚している。映画館で映画を見るというのは、自宅でビデオやDVDを見るのとはまた違った「良さ」がある。
「良さ」がある。ただ、たしかに映画館や劇場でならばこういう良さもいいだろうけど、そういう前提のないところでそういう感覚が生じるときは、少し注意したほうがいいんじゃないかとも思う。映画や劇場の催しはあくまで架空のお話であり、それをその場で楽しむという前提を、観るほうも観られるほうも共有している。だけど現実の世界ではそうじゃない。
たとえば、小学校や中学校では、誰かのことをのけものにして、影でみんなで悪口を言うというようないじめがよくある。自分のことが自分の知らない場所で話題になっているのは(悪い評価をされているのは)、一般的に言って不愉快なんだと思う。自分もその場に入って釈明させてくれればまだいいが、そういう機会がないのはつらい。
ここではいじめの構図について追求しないけど、SBSについてぼくが問題だと感じるのは、一方通行であることと、そこにいる人が一方通行性に無自覚でいることだ。何かに対して意見を言うならば、逆に意見を聞くための場を用意しておいたほうがよい。しかしSBSではそれが用意されていない。ネタにされた人が釈明しようとしたり、自分の非を認めたりしようとしても、その機会が与えられない。
そういった行為をしようとすれば、はてな(SBS)に登録しなければいけないし、そこで意見を発したところで、もうそこに人はいないかもしれない(というか、たぶんいない)。SBSは対話の場ではない。SBSはネガティブな意見を言うのに適した場所ではない。SBSを使う人には、このシステムを理解するか、直感的にでもそういったことをしてはいけないと感じていてほしい。そして、たいていの人は理解していると思うのだ。
ただ、劇場効果は人の感覚を痲痺させる可能性がある。それが心配だ。あの人がこう言っているから、みんなの意見がこうだからという理由で、人は自分の意見を肯定的に捉えたくなる。しかし、その感じを信じすぎないほうがいい。あまつさえその考えが正しいと思っても、相手に対して「あなたが間違ってる」と直接的に表現したり、ただ罵倒をするのはよすべきだ。だって自分や自分の属するコミュニティがもし間違っていたら困るし、舞台の上にいるのは架空の人物ではなく生身の人間だからだ。
相手が間違っていると思ったり、直してほしいところがあるのなら、きちんと話し合い、対話を通して解決したほうがよい。ネット上のコンテンツや人は架空のものではないのに、劇場効果は向こう側に人がいることを忘れさせる。そういった危険性があることを自覚しておきたい。劇場は対話には適さない。
はてなブックマーク - Yahoo!ブログ - 発想転換,トラックバックはこんなに簡単!
「トラックバックを気軽に使おう。関係しそうな記事を検索して適当にトラバを打とう」という趣旨の記事が炎上していた。「それはスパムだ」というのがはてなブックマーク住民の意見として多く見られるんだけど、んー本当にそれでいいのかな?と思った。
少し前、「はてなブックマークのようなSBS(ソーシャルブックマーク)のコメントは、それを知らない人から見たら恐怖感を感じるものでありうる」という意見があった。自分の知らないところで自分の書いたものが評論され罵倒されているというのは不快だ(だからそういうことのないようにシステム提供者側で管理しろ)という指摘だ。ぼくはこの指摘は極論だと感じたけど、そういう面もなくはないと思っている。
端的に言って、SBSは「あちら」と「こちら」を分ける性質がある。はてなブックマークを使っている人は分かるだろうけど、あれを見ていると自分もコメントしたくなる。ほかの人のコメントに対して「そうそうそう! そうだよね」とか「それは違うんじゃないかなぁ」とか「そんなこと言うなよ」と言いたくなるのだ。
誰かはこれを劇場効果と言っていた。劇場や映画館で演じられている題目を見ていると、観客同士で妙な一体感が生まれるのだ。アクションシーンでは誰もが息を止め、おちゃらけたシーンでは笑いが起きる。そうした空気、間というものを観客は共有しており、また、共有していることをほぼ無意識的に自覚している。映画館で映画を見るというのは、自宅でビデオやDVDを見るのとはまた違った「良さ」がある。
「良さ」がある。ただ、たしかに映画館や劇場でならばこういう良さもいいだろうけど、そういう前提のないところでそういう感覚が生じるときは、少し注意したほうがいいんじゃないかとも思う。映画や劇場の催しはあくまで架空のお話であり、それをその場で楽しむという前提を、観るほうも観られるほうも共有している。だけど現実の世界ではそうじゃない。
たとえば、小学校や中学校では、誰かのことをのけものにして、影でみんなで悪口を言うというようないじめがよくある。自分のことが自分の知らない場所で話題になっているのは(悪い評価をされているのは)、一般的に言って不愉快なんだと思う。自分もその場に入って釈明させてくれればまだいいが、そういう機会がないのはつらい。
ここではいじめの構図について追求しないけど、SBSについてぼくが問題だと感じるのは、一方通行であることと、そこにいる人が一方通行性に無自覚でいることだ。何かに対して意見を言うならば、逆に意見を聞くための場を用意しておいたほうがよい。しかしSBSではそれが用意されていない。ネタにされた人が釈明しようとしたり、自分の非を認めたりしようとしても、その機会が与えられない。
そういった行為をしようとすれば、はてな(SBS)に登録しなければいけないし、そこで意見を発したところで、もうそこに人はいないかもしれない(というか、たぶんいない)。SBSは対話の場ではない。SBSはネガティブな意見を言うのに適した場所ではない。SBSを使う人には、このシステムを理解するか、直感的にでもそういったことをしてはいけないと感じていてほしい。そして、たいていの人は理解していると思うのだ。
ただ、劇場効果は人の感覚を痲痺させる可能性がある。それが心配だ。あの人がこう言っているから、みんなの意見がこうだからという理由で、人は自分の意見を肯定的に捉えたくなる。しかし、その感じを信じすぎないほうがいい。あまつさえその考えが正しいと思っても、相手に対して「あなたが間違ってる」と直接的に表現したり、ただ罵倒をするのはよすべきだ。だって自分や自分の属するコミュニティがもし間違っていたら困るし、舞台の上にいるのは架空の人物ではなく生身の人間だからだ。
相手が間違っていると思ったり、直してほしいところがあるのなら、きちんと話し合い、対話を通して解決したほうがよい。ネット上のコンテンツや人は架空のものではないのに、劇場効果は向こう側に人がいることを忘れさせる。そういった危険性があることを自覚しておきたい。劇場は対話には適さない。
Comment
# >しかしSBSではそ...
それは誤解を生む表現だと思いました。
blogとブックマークの非対称性について表現していると解釈しましたが、それは「blogとblog」や「blogと自作アンケートF」や「blogと2ch」でも大差がないことだと思います。
つまりソーシャルブックマークだけを「機会が与えられない」と表現するのは公平ではない感覚を与えると感じます。
また、例え話として「いじめ」を使われていますが。
先週あたりにどこかのblogで「ソーシャルブックマークの酷いコメントをいじめで例えるのはおかしい。リアルのいじめは物理的に逃げ場が無い嫌がらせのことだが、ソーシャルブックマークの酷いコメントは逃げ場の無い嫌がらせとは言いがたいからだ」という趣旨の話が有って、個人的に同意しました。
つまり他人の言論にキツいコメントを付ける事を「いじめ」と表現するのは過剰だということです。
# だれもおれを批判するな
# この事象の記録をエン...
よろしければどうぞ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/fmht7/20051207/1133884257
# メディアと非対称性、リテラシー、いじめのメカニズム
指摘はある程度正しいと思います。ただ、ぼくはこの分野の権威ではありませんし、上記は素人のたんなる「意見」ですから、これ(だけ)をベタに信じてしまう人はそれほどいないと思うんですよね。
otsuneさんが指摘されているように、非対称性という観点から、「blogとblog」や「blogと自作アンケートF」や「blogと2ch」(もっと言えば井戸端会議や紙のメディアなどでも)も同様の問題をはらむということは、たぶん多くの人にとって、上記エントリから自然に帰結されるでしょう。ただ、個人的にはSBSとほかのメディアで「大差ない」と言えるほど差が小さくないとも思うんです。
たぶんそれぞれのメディアで、非対称性の量や質が違うんじゃないかと思ってて、たまたま今回は、SBSで劇場性がうまく説明できたのでとりあえず書いてみました。SBSだけが問題だと思っているわけではないですし、ある程度読む人もそれを理解するだろうと思っています(このへんの期待値は個人的感覚に強く依存するかも)。
また、「いじめ」の話を出したのは、あくまで人間の心理が何を不快と感じるかを表現するために挙げただけであって、SBSでの否定的なコメントがイコール「いじめ」であるとは書いていないつもりです。ぼくは、はてなのひどいコメントが「いじめ」であるとは思いません。「いじめよう」という主体的な意識を(多くのケースで)SBSからいじめられる側は感じないだろうというのがその根拠です。だけど、集団によるコメントが人の心を傷付けるメカニズムは、いじめにおける攻撃のメカニズムとかなり似ていると(いまのところ)思っとります。
# コメントありがとうございます〜
そうなんですよね。はてブから攻撃された側は、相手(はてブ)を汚ないものとして扱わざるを得ないですからね。そうやって2chはいまの地位を築いてきたんだろうと思います。ぼくは、はてブと2chではかなり違うイメージを持っていますが、いまの多くの人もそうだと思うんですよね。だけど、暴言を吐いてカタルシスを得るだけの場になってしまうと、はてブのイメージもどんどんダーティになっていってしまうだろうと。まぁそれはそれでいいのかもしれないですけど……。
>fmht7さんもありがとうございます〜。
よく分かってないですが、遊びによらせてもらいます。
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