メッセージ。 - 表記の統一から徒然に
# 表記の統一から徒然に
http://blogs.itmedia.co.jp/london/2006/02/asahi_9e95.html?ref=rssall
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/otashimasho/archives/50375268.html
個人的には、表記の統一というのは、良い効果もあるけど、悪癖も大きいんじゃないの?とずっと思っている。
著者が書いた原稿に、「表記の統一」という理由で編集者が手を入れる。そりゃあ、そうすることで読みやすくなることもあるので、否定はできない。でも、表記の揺れ自体が著者のオリジナリティでもあるわけで、それを殺すことになる。そういうことをしていいのか?
……そういうことを考える一方で、とんでもなく不細工な文章を仕上げてくる執筆者に困ることもある。表記の統一や文章の問題だけでなく、技術的な間違いが散見されたり、逆に広告的な主張が強く含まれていたり、さっぱり説得力がなかったり。こういう執筆者に「ちょっとここを書き直してくれ」とお願いしても、たぶん無駄だと思うので、ぼくの場合は自分で書き直してしまう(もちろん、問題が起こらない範囲で)。
下手な文章も、鼻につく主張も著者の味と思うところもあるけど、読者に読ませることを考えたら、なかなかそのまま載せるというのも難しい。直して載せるのではなく、もう没にしてしまうという手もあるだろうけど、雑誌の進行ではそれも難しいし。
そういうことをいろいろ考えるうちに、「原稿は著者のものではない」という考え方が落としどころかもしれないと(あらためて)思いはじめた。雑誌の場合はとくに、その本が売れなければ、著者だけでなく編集者や出版社にとっても死活問題になる。だから誌面は、読みやすく面白いものでなければならない。そのために編集の手が入るのは仕方がない面があると。
ただ、この考え方はスマートじゃない。コンテンツの面白さを追求する一方で、出版社の死活問題というオマケを抱え込んでしまっているから。それは面白さにとっては足枷以外のなにものでもない。また、マスにウケる方向に改変すると、オリジナルが含む毒が薄れてしまって、よくない。
出版社の死活や、マスにウケる方向性は、マスメディアだからこそ起こる問題だ。そこから解き放たれたインターネットには、そういうものはもう必要ない。ネットにおいても、編集の手を入れたりマス向けのコンテンツ振り分け器を導入したりできるけど、その手を使ったら、やっぱり毒を薄めることになる。ネットにあるコンテンツで一番面白いのは、結局のところ人手の介入しない、ワクにとらわれないものなんだろう。
『ASAhIパソコン』休刊に思ふ - 安藤怜のロンドン灯 [ITmedia オルタナティブ・ブログ]しかし、この「表記の統一」が、どれだけ雑誌の売り上げに貢献してきたかは、実際のところ、よくわかりません。そして、出版界も不況が長引くにつれて、そういう部分にあまりコストをかけられなくなってきているようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/otashimasho/archives/50375268.html
# 2006年02月13日 kanose 『[ネット]雑誌の表記統一が何を生んだのかというのは考えてみると面白そう』
個人的には、表記の統一というのは、良い効果もあるけど、悪癖も大きいんじゃないの?とずっと思っている。
著者が書いた原稿に、「表記の統一」という理由で編集者が手を入れる。そりゃあ、そうすることで読みやすくなることもあるので、否定はできない。でも、表記の揺れ自体が著者のオリジナリティでもあるわけで、それを殺すことになる。そういうことをしていいのか?
……そういうことを考える一方で、とんでもなく不細工な文章を仕上げてくる執筆者に困ることもある。表記の統一や文章の問題だけでなく、技術的な間違いが散見されたり、逆に広告的な主張が強く含まれていたり、さっぱり説得力がなかったり。こういう執筆者に「ちょっとここを書き直してくれ」とお願いしても、たぶん無駄だと思うので、ぼくの場合は自分で書き直してしまう(もちろん、問題が起こらない範囲で)。
下手な文章も、鼻につく主張も著者の味と思うところもあるけど、読者に読ませることを考えたら、なかなかそのまま載せるというのも難しい。直して載せるのではなく、もう没にしてしまうという手もあるだろうけど、雑誌の進行ではそれも難しいし。
そういうことをいろいろ考えるうちに、「原稿は著者のものではない」という考え方が落としどころかもしれないと(あらためて)思いはじめた。雑誌の場合はとくに、その本が売れなければ、著者だけでなく編集者や出版社にとっても死活問題になる。だから誌面は、読みやすく面白いものでなければならない。そのために編集の手が入るのは仕方がない面があると。
ただ、この考え方はスマートじゃない。コンテンツの面白さを追求する一方で、出版社の死活問題というオマケを抱え込んでしまっているから。それは面白さにとっては足枷以外のなにものでもない。また、マスにウケる方向に改変すると、オリジナルが含む毒が薄れてしまって、よくない。
出版社の死活や、マスにウケる方向性は、マスメディアだからこそ起こる問題だ。そこから解き放たれたインターネットには、そういうものはもう必要ない。ネットにおいても、編集の手を入れたりマス向けのコンテンツ振り分け器を導入したりできるけど、その手を使ったら、やっぱり毒を薄めることになる。ネットにあるコンテンツで一番面白いのは、結局のところ人手の介入しない、ワクにとらわれないものなんだろう。
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