メッセージ。 - 携帯電話とアフォーダンス

# 携帯電話とアフォーダンス

東京の電車では、携帯電話を覗き込んでる人が多いなぁと思う。
席に座っている人が、横ならびで全員携帯を目の前に持ち上げているのは異様な雰囲気だ。
その異様さは、ウォークマンを聞いている人を見たときにも感じる。
なんでこんな風に感じるのかは、自分でもよく分からないんだけど。
なんというか、無防備すぎるように感じるのかなぁ。
ウォークマンがはじめて世に出てきたときに思ったのは、「五感の1つを失うことを畏れないのかな?」というようなことだった。
自分だったら、ちょっと怖くてそんなことできない。
外にいるということは、いつ外敵に襲われるか分からないということだ。
原始時代じゃないんだから、襲われるといっても危険な動物が身の周りにいるわけじゃないけど。
でも、悪い人がそのへんを歩いているかもしれないし、車道を外れた車が突っこんでくるかもしれない。
それに、なんと言っても音楽を聞きながらじゃあ、景色を楽しめないじゃないか。
そんなことを思って、いまでもウォークマンの類はあまり好きじゃないのだけど。
同じようなことを、やっぱり電車の中の携帯電話にも感じるんだよなぁ……。
その一方で、電車の中で本を読んでいる人には、あまりそういう感情を抱かないのだけど。
なんでだろうなぁ……。やっぱり自分でもこの感じの原因がよく分からない。

最近は、行き帰りの電車で、いつもザウルスを触っている。
趣味のプログラミングをやっていることがほとんどなのだけど、とても楽しい。
もう元は取ったと胸を張って言えるほどザウルスで遊んでいる。
まぁそれはいいとして。ふとあることに気付いたのだ。
電車の中でザウルスで遊んでいて、目を上げると、隣や前にいる人が携帯電話を睨んでいることが多い。
というか、ぼくがザウルスで遊び始めるのを見て、携帯電話を取り出す人が多いように感じるんだな。
見るともなしに、何をやってるのか覗いてみると、フリーセルみたいなのをやっている。
感覚的なものの見方かもしれないけど、そういう人は、ぼくがザウルスで遊んでいるのを見て、自分もやりたくなったんだと思う。
「退屈だ」と感じたのかもしれないし、「なんか面白そうなもの持ってるな」とうらやましくなったのかもしれない。
あるいは、「自分も何か時間を有効に使わなければ」と感じる人もいるかもしれない。
感じ方はいろいろだろうけど、とにかく人間は、周りの人を見てそれに影響を強く受けるものなんだろうと思う。

フランスの社会学者、ルネ・ジラールという人がこう言ったそうだ。
「欲望とは他者の欲望の模倣である」
たしかになぁと思ったよ。
隣の田中さんが車を買い替えたら、自分も車を欲しくなる。
友達が持っている新しいおもちゃを見て、自分も欲しくなる。
そういう感じは、誰しもが持っているんじゃないだろうか。

まぁこれについても、つらつら考えているのだけど、
1つ思うのは、欲望だけでなく、いろんなことを人間は模倣によって得ているのだろうなということだ。
つまり、人間は別の人間から大きなアフォーダンスを受け取っているんだろうと。
隣にいる人が楽しそうなことをやっていれば、自分もやりたくなる。
「あ、ここでこういうことをやってもいいんだ」と感じたりとか。
そういう模倣のしあいによって、人間の社会というのは成り立っている。
ちょっと前に書いた幸島の猿もきっとそうだ。
ある一匹の猿が、海水で芋を新って食べたらおいしいと発見する。
そうすると、しだいに周りの猿もそれを真似して食べはじめる。
最初の一匹がそれを見つけるまで、たいていは誰も気付かないものなんだ。
それはまさに、コロンブスの卵だろう。

電車の中で携帯で遊ぶ人というのも、周りの人からのアフォーダンスを受け取っている。
でも、だとしたら、ぼくがザウルスで遊んでいて、周りの人はどんなアフォーダンスを受け取るんだろうか。
それで、えーと、っと。仕事だって。とりあえずまとまらないし、ここでえぃっ。送信。
2006-03-03 14:16:48 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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