メッセージ。 - モテと見積もり、お返事二題
# モテと見積もり、お返事二題
「高く見積もる人と低く見積もる人。理解と追体験。」にいくつかコメントをいただいたので、お返事してみますー。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://nnri.dip.jp/~yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=909
たしかに、同じようにうまいことを言ったとしても、受け取られ方が変わってくることは実際にあると思います。じゃあ、結果に差が出るのはなぜか。どこに違いがあるのか。それがモテと非モテの違いなわけですよね。
同じように言ってるのになにかが違う。この「なにか」が知りたい。REVさんのコメントでは、この「なにか」を、5W1Hで言うところのWho、つまり「誰が言っているか」に原因があると考えているのですよね?
でも、そこで諦めてしまわないほうがよいと思うのです。「誰が言ってるか」をたしかに女の人は気にします。それは言い換えれば先入観ですよね? そして、先入観というのは、それまでの経験から生じているわけです。普段から好印象を持つ人から言われたことは、良い方向に受け止めます。逆もまたしかり。
モテか非モテかを分けるのは、普段からそういう印象を与えられるかどうかなんです。たとえば、みんなで居酒屋にいったとして、あまり可愛くない女の子が一人浮いていたとする。そういう子に積極的に話しかける男はモテます。なぜかというと、そういう行動が好印象だからです。フェアで優しい男だという印象を与える。
モテは先天的なものじゃないとぼくは思います。普段の行いも大きいよと。
これもそのとおりだと思います。正確さを追求するなら、相手を上か下かで見積もったほうがよいでしょう。でも、場合によっては、正確であることよりももっと大事なことがありますし、いずれにせよ「相手が下である」みたいなことは、たとえ思っても顔に出さないほうがよいと思います。
だって、下扱いされたら不快になるでしょう? どんな場合でも高く見積もる。実際に心の中ではそう思っていなかったとしても、少なくとも「あなたを高く見積もってますよ」というフリはしたほうがよいです。そうしたらコミュニケーションが円滑に進んで、物事が前に進みますから。
ぼくはこれをもう一歩進めて、「どんな場合でも相手を高く見積もっちゃえ」と思っています。だって、「こんなすごい人と遊べて楽しい」と思ったほうがトクじゃないですか。実際に相手がすごい人ならそれでよいですし、あまつさえそんなにすごくない人だったとしても、すごい人だとして接することで、モチベーションを高めてくれるかもしれない。
そうすると、その人の実力が発揮しやすくなるはずです。なんの問題もない。実際、こういう風に接してみると、すごくない人ってそんなにいません。やる気になりさえすれば、なにかしらの力を持っている人が多いと思います。「ウソも言いつづければ本当になる」じゃないですけど、ウソで相手を高く見積もって、それに近い結果が得られたら超トクです。
結局は、何をやりたいかなんですよね。正確でありたいのか、それとももっと違うものが欲しいのか。ぼくはもっと違うものが欲しいと思います。どちらが正しいのかは、分からないんですけど、とにかく関西人はこんな風に考えます。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://nnri.dip.jp/~yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=909
REV 『[非モテ][カリカリモフモフ]モテがうまいことをいうと、「私の勇気を出してくれた!」とモテて、非モテがいうと、「NKHI:何この非現実的な意見」といわれるんじゃないかな。』
たしかに、同じようにうまいことを言ったとしても、受け取られ方が変わってくることは実際にあると思います。じゃあ、結果に差が出るのはなぜか。どこに違いがあるのか。それがモテと非モテの違いなわけですよね。
同じように言ってるのになにかが違う。この「なにか」が知りたい。REVさんのコメントでは、この「なにか」を、5W1Hで言うところのWho、つまり「誰が言っているか」に原因があると考えているのですよね?
でも、そこで諦めてしまわないほうがよいと思うのです。「誰が言ってるか」をたしかに女の人は気にします。それは言い換えれば先入観ですよね? そして、先入観というのは、それまでの経験から生じているわけです。普段から好印象を持つ人から言われたことは、良い方向に受け止めます。逆もまたしかり。
モテか非モテかを分けるのは、普段からそういう印象を与えられるかどうかなんです。たとえば、みんなで居酒屋にいったとして、あまり可愛くない女の子が一人浮いていたとする。そういう子に積極的に話しかける男はモテます。なぜかというと、そういう行動が好印象だからです。フェアで優しい男だという印象を与える。
モテは先天的なものじゃないとぼくは思います。普段の行いも大きいよと。
monolith 『[考察]能力がある程度ばらついて分布していると,大概の場合は相手を低く/高く見積もる方が正確ということもないかな.状況次第ですが.』
これもそのとおりだと思います。正確さを追求するなら、相手を上か下かで見積もったほうがよいでしょう。でも、場合によっては、正確であることよりももっと大事なことがありますし、いずれにせよ「相手が下である」みたいなことは、たとえ思っても顔に出さないほうがよいと思います。
だって、下扱いされたら不快になるでしょう? どんな場合でも高く見積もる。実際に心の中ではそう思っていなかったとしても、少なくとも「あなたを高く見積もってますよ」というフリはしたほうがよいです。そうしたらコミュニケーションが円滑に進んで、物事が前に進みますから。
ぼくはこれをもう一歩進めて、「どんな場合でも相手を高く見積もっちゃえ」と思っています。だって、「こんなすごい人と遊べて楽しい」と思ったほうがトクじゃないですか。実際に相手がすごい人ならそれでよいですし、あまつさえそんなにすごくない人だったとしても、すごい人だとして接することで、モチベーションを高めてくれるかもしれない。
そうすると、その人の実力が発揮しやすくなるはずです。なんの問題もない。実際、こういう風に接してみると、すごくない人ってそんなにいません。やる気になりさえすれば、なにかしらの力を持っている人が多いと思います。「ウソも言いつづければ本当になる」じゃないですけど、ウソで相手を高く見積もって、それに近い結果が得られたら超トクです。
結局は、何をやりたいかなんですよね。正確でありたいのか、それとももっと違うものが欲しいのか。ぼくはもっと違うものが欲しいと思います。どちらが正しいのかは、分からないんですけど、とにかく関西人はこんな風に考えます。
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